2010.5.10.
朝ですが,快晴でした。
そして,宿が駅の近くだったので・・で,これまで仙台に来た時は,駅の東口方向は,工事中とかであまり散策してませんでした。
佐藤教授によると昔は,ちょっと怖い辺りだったそうです。
まぁ,それはともかく・・・ブラ@タケミです。
まずは榴岡天満宮です。
とにかく,歌碑っていうか・・・句碑っていうか,一杯です。
【榴岡天満宮は平安時代の天延二年(974)に山城国(現在の京都府)に御創建され、平将春が陸奥国宇多郡(現在の福島県)に歓請し、その後宮城県柴田郡川内村に御遷座したのが始まりで、天文二十年(1551)に小俵玉手崎(仙台市青葉区の東照宮の地)に二度目の御遷座が行われ、後に藩祖伊達政宗公が仙台城を造営するとき、当社の社木(境内地にあった樹木)を用財として切り取った為、その報祭に慶長十六年(1611)に新たに丹塗りの御社殿を造営したが、慶安三年(1650)徳川幕府の命令により東照宮建立に際してその境内地東側に御遷座された。】だそうです。
それにしても,その碑の多いこと!
そして天満宮だけあって・・・合格祈願が一杯です。
これは道真公の「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」ですね。古文の勉強にもいいかも?
こんな山車もしまってありました。
芭蕉翁のもあります。
【仙台城構築の際、有力な築城の候補地とされ、元禄二年五月七日には当社に、松尾芭蕉が参拝し「ここ玉田よこ野つつじが岡はあせび咲くころ也ここに天神の御社など拜て其日はくれぬ」(奥の細道)という句を遺していることからも当時の天神信仰が盛んだったことを示している。】とのことですから。
圧巻って感じで並んでいますよ!
さて,その東側には,榴岡公園です。
まだまだ春の盛りです。
桜は本当に沢山あるようですが・・・・・葉桜さえ一杯でしたもの!
こんな快晴の空の下,花々に迎えてもらうのは,本当にいい気持ちになりますね。
【榴岡公園(つつじがおかこうえん)は、仙台市都心部の東側にある撓曲丘陵「宮城野撓曲」(みやぎのとうきょく)、すなわち、歌枕「躑躅岡」(つつじがおか)の南西部を占める都市公園。】ですって。
葉の緑も,空の青も,そして花々の彩も素晴らしいです。
広い公園に,朝日が差し込んで・・・とってもいい気分です。
西側の通路の様な処も,通勤の方々は足早に向かわれてましたが,でも,桜並木なのですね。
【ツツジ(躑躅)の名所として古くから知られる歌枕「躑躅岡」に17 世紀末、仙台藩主・伊達綱村が馬場などを開設してサクラ(桜)を植え開放した。すると当地は「桜の馬場」と称され、サクラの名所となった。1902 年(明治35年)にこの「桜の馬場」は県立の「榴ヶ岡公園」として開園する。すると、1875年(明治8 年)開園の桜ヶ岡公園が仙台市中心部の西にあることから「西公園」、当園が中心部の東にあることから「東公園」とも呼ばれたが、「西公園」と「榴ヶ岡公園」が各々定着した。
西公園がソメイヨシノ(染井吉野)を主とするのに対して、榴岡公園はシダレザクラ(枝垂桜)を主としている。】とのことで・・・躑躅もそうですよね!地名だもの!
近くのマンションの人はなんかうらやましいですよね!
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まだこんなに桜に出会えるとは思っていませんでした。 |
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そして,この公園に入った辺りから,なんだかお年寄りが「おはよう」ってお互いに声かけしながら,集まってこられるなぁ・・って思っていたら・・・一斉に,ラジオ体操でした。2番までされてました。すごい!
【園内には、シダレザクラを中心に360本の桜が植えられている。シダレザクラの内、元禄年間に伊達綱村により植えられた白色や薄紅の一重咲きのシダレサクラは「仙台枝垂桜」とも呼ばれる。また、八重咲きのヤエベニシダレ(八重紅枝垂)は仙台市長の遠藤庸治が普及に努めた品種で、子孫樹が平安神宮などにある。「伊達家の桜」とも言われ、園内に限らず仙台およびその周辺に多く見られる。なお、このヤエベニシダレを母とし、ソメイヨシノを父として、宮城県師範学校の坂庭清一郎が交配させて1900年(明治33
年)に誕生したのがセンダイヨシノ(仙台吉野)で、原木が東北大学植物園にある。1997年(平成9 年)より、宮城県柴田農林高等学校の講師・生徒らが、バイオテクノロジー技術を用いて増やし、1999年(平成11
年)に校内や白石川公園に植樹した。】だそうですよ,ほお〜。
本当に,気持ちを和ませてくれる花々でした。
広いグランドもありますし,ランニングの人たちも居ました。
この広さの都市公園はいいですね・・・樹木がもっと育つと最高です。
それに・・・【 仙台市歴史民俗資料館:明治期の建築物で、旧第2師団・歩兵第四連隊の兵舎。県内では最古の木造洋風建築である。なお、ほぼ同時期の同様な建物である旧第六連隊兵舎が、明治村に保存されている。】もありました。
それに野外音楽場まで・・・
そうこうしているうちにラジオ体操が終わって,皆さん,三々五々・・・お別れの様です。
でも,気持ちの良い朝です。本当に!
拡がった緑に,花の彩が,本当に鮮やかです。
朝日もだいぶ昇ってきて・・・空の青が深くなってきています。
白い八重桜も・・・本当に満開でした。
桜シャワーって感じで,感動でした!!
さて,榴岡公園を後にしました。街角には・・
今年はまだ調子に乗り切れていないようですが,監督が代わったから???
公園がありました。
チューリップとパンジーが今を盛りです。
その裏手っていうか,東川・・・政岡墓所です。
【騒がしい市中にあって、別世界のような静けさの中に伊達家墓所があります。二代藩主伊達忠宗の正室・徳川振子、三代藩主綱宗夫人三沢初子、四代藩主綱村正室稲葉仙姫の墓が三基整然と建てられており、仙台市の有形文化財(史跡)に昭和47年に指定されている。】だそうですよ。伊達家ってなってます。
で・・・【徳川振子は熱心な日蓮宗の信者で、この信仰の力で焼失した善勝寺(孝勝寺の旧名)の再建復興をしたという。忠宗は夫人をこの寺に葬り御霊屋を建立し、夫人の法号『孝勝院殿秀岸日訊大姉』に因んで寺号を孝勝寺と改めたのである。
忠宗夫人の侍女であった関係からも法華教の信仰も篤かった三澤初子もこの寺に葬られたのであった。 戊辰の役で伊達藩は朝敵になったので、県令から仙台城本殿とともに破毀令が出されて、漆塗りの豪華な廟は取り壊された。
明治になって伊達家は神式葬祭に改めたために、明治12年(1879)現在の墓石が建てられた。】だそうですが,だからなのか,このすぐ横には孝勝寺さん(日蓮宗)も大きく構えてありますが・・・それ以外にも・・とってもお寺さんが多い一角です。
新寺町です。
曹洞宗の・・・林松院さんです。
【開山は松音寺7世霊堂文徹大和尚です。大和尚は錦織家の出身で松音寺6世松庵賢貞大和尚の法を嗣ぎ、妙心院(新寺)や安養寺(愛子)をも開かれました。また、開基(創建した方)は錦織家19代休庵瑞栓(久庵)です。錦織家は代々、伊達藩の御殿医を勤め、休庵は錦織家出身の霊堂文徹大和尚に帰依するところ篤く、林松院を創建し菩提寺にしました。林松院は現在31代目の住職になります。歴代住職の中には、永巌寺(石巻)や輪王寺(北山)あるいは昌伝庵(荒町)に晋住された方も居られます。新寺通りに15尺(約5m)の白衣観音像を有し、界隈では「白衣観音寺」と言われています】です,でした。
なんだか大きなお寺さんばかりです。お隣の東秀院さんも曹洞宗でした。↑
お向かいの大林寺さんには,土井晩翠の墓がありました。
こちらも街中とは思えず,大きな境内です。
【曹洞宗。北山輪王寺の末寺。天文元年(1532)伊達家14世稙宗が山形県米沢鮎貝村(現白鷹町)に創建。その後,政宗と共に岩出山を経て現在地に移った。本尊は寛文13年(1672)弘法大師の実作といわれる釈迦牟尼仏。稙宗夫人の泰心院殿,弟の大林寺殿の位牌を祀る。かつての八ッ塚古墳のひとつが境内にあったという。連坊小路小学校は明治19年(1886)この寺の境内で開校した。仙台出身の詩人で「荒城の月」の作詞者,土井晩翠の菩提寺。晩翠は明治38年(1963)逝去しここに葬られた。山門前に詩碑がある。境内の観音堂は本尊千手観音で仙台三十三観音14番札所。白山大権現を祀る妙理堂もある。】だそうですよ。
こは道仁寺さんの裏手に当たりますが・・・
ここから,お寺の裏の塀とそれぞれの墓地でしょうか・・それを挟むような感じで小路があります。新寺小路緑地ですね・・・そこを歩んでみました。
伽藍の甍が見えています。
それにしても街中で集まっているとはいえ,大きな伽藍ばかりが目に入りますね。
【新寺界隈は、仙台開府当初、仙台城から見て鬼門に位置していたため、多くの寺院が集まり寺町をつくりました。かつて八つの古塚があったため「八つ塚」と呼ばれていたこの界隈は、元寺小路にあった寺院を移転したことから新たに「新寺小路」と命名され、現在に引き継がれています。新寺界隈は、歴史のある寺が多く、孝勝寺のクロマツや正楽寺のイチョウなど、市の保存樹木に指定されている名木・古木が境内に植えられています。また、善導寺や栽松院、松音寺、光寿院などには見事な庭園があり、鬱蒼とした樹林と相まって、街の喧噪を忘れさせてくれます。新寺二丁目蓮池公園から新寺五丁目公園を結ぶ「新寺小路緑道」も新たに整備されています。東西640m、幅10mのこの緑道にはサクラやツバキなどが植えられ、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。】なるほど,そうですか!
榴岡4公園に来ますと・・・
五重塔とひときわ大きな伽藍が目を引きます。
孝勝寺ですが,ぐるりと回っていると境内内のお寺の様な法輪院【日蓮宗。萬治3年(1660)孝勝寺の塔頭(たっちゅう)として建立。本堂向かって右手前に大正元年(1912)廃寺となった華香院から本尊を移し祀った鬼子母神堂があります。】には,鬼子母神堂です。
そしていよいよって感じで,孝勝寺さんです。
すごく広い境内ですし,五重塔はなかなか立派な感じで,圧倒される気がします。
そして釈迦堂です。
【釈迦堂概要:釈迦堂は案内板によると「仙台藩四代藩主伊達綱村が生母三沢初子の冥福を祈るため、母の持仏である釈迦仏を祀って元禄8年(1695)に建てられた持仏堂である。三間四方の正方形で、前面に一間の向拝(正面階段の上に張り出した庇の部分)を付ける。現在、軒、軸部など黒漆を主にした彩色が施されているが、もとは素木造であったといわれる。屋根は、宝形造、瀬戸焼の本瓦葺であったが、現在は本瓦葺形銅板葺に替わった。内部の須弥壇上に厨子を備え、釈迦像を安置している。もと榴ヶ岡にあり、境内には釈迦堂のほか、二天門、鐘楼が置かれ、周囲には枝垂桜が多数植えられていた。公園の桜はその名残である。昭和48年(1973)宮城県立図書館(現在の宮城県公文書館)が建設されるにあたり、この地に移転したが、堂建立の趣旨を綴った「釈迦堂碑」は現在も宮城県公文書館前にある。」とあります。】とのことですよ!
丁度朝の読経でしょうか・・・本堂から聞こえていました。
【孝勝寺概要:孝勝寺の創建は永仁3年(1295)に一条阿闍梨日門が開山したとされ当初は大仙寺と称していました。戦国時代になって、伊達政宗が戦勝祈願したところ勝利に導いた事から寺名を「全勝寺」と改めました。その後,二代忠宗夫人振姫が寛永19年(1642)に養母である英勝院の菩提を弔った事から「善勝寺」と改名し、萬治2年(1659)にその振姫が亡くなると法名を孝勝院と名付けられた為、「孝勝寺」と更に改名しました。孝勝寺は伊達家から庇護され日蓮宗東北本山として寺勢は他の寺を凌駕していましたが、火難も多く、享保12年(1727)、明和元年(1764)、嘉永3年(1850)、昭和35年(1960)と何度も火災に合い堂宇は焼失しました。現在は本堂、書院、開山堂、五重塔など順次に再建し、大伽藍を有する寺院となりました。 】なのだそうでした。
新寺小路緑地の方へ戻ります。
正楽寺さん
良い落ち着いた境内でした。
そして,新寺小路緑地は,西のはずれの,まぁ,云わば終点!
さて・・・そろそろ国際センターに向かわないと朝一番のセッションに遅れますので・・・行きましょう!
清々しい5月の朝でした。
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