2010.4.14.
事務局を務めています日本免疫毒性学会の運営委員会で上京しました。

で,ちょっと事情で,福山から新幹線でしたが,福山城の桜は,まだ残っていますね!!
今年は3月半ばが暖かくって桜が花開き始めて,その後,結構寒い日が続いて・・・で,4月に入ってから満開になって・・・でも雨も少なく長く持っています。

岡山県三大河川で,新幹線では旭川と吉井川はよく通りますが,高梁川はめったに見ないので・・・
 

岡山駅から,半田山植物園や三野公園の桜は遠めにもまだ鮮やかです。

そして・・・東へ!!!  富士山がきれいでした。
今回,富士山が見えている間を動画してみました
どうですか??



さて,渋谷に到着です。
渋谷駅から東南の方向へ・・・・國學院大學へ向かっていく方向ですけれど・・・

金王八幡宮です。
最近,日本免疫毒性学会運営委員会は渋谷なので,結構,来ていますが,こちら方面は初めてでしたね。
鯉幟がもうたなびいていました。
【寛治六年(1092年)渋谷家の祖、河崎基家によって渋谷城内に創建され、その子重家の時、渋谷の姓を賜り、これが渋谷の地名の起こりと言われる。重家の子、金王丸は源義朝・頼朝に仕え武勇に勝れ、金王櫻として頼朝が偲び植え名木である。】
とのことです。
【金王八幡神社は,中世にかつて谷盛庄(現在の渋谷一帯)の領主であった渋谷氏の館跡である。この神社の名前は「平治物語」に源義朝の侍童として登場する青年武者金王丸に由来する。金王丸は,その渋谷氏の一族であった。金王八幡神社に伝える社記によれば,渋谷重家に子が授からず夫婦一心に八幡宮に祈願を込め,神前で金剛夜叉明王のお告げがあり,やがて男子が出生した。そこで明王の上下の二文字をいただき金王丸と名付けたという。金王丸が17歳で源義朝に召出される際に,嘆き悲しむ老母に「今からはこの像を自分だと思って慈しんで下さい」と与えた木像は,現在,金王八幡神社の境内の金王丸影堂に保存されている。江戸時代になり,二代将軍秀忠のとき,三代目の候補は長男の竹千代(のちの家光)でなく,次男(のちの忠長)であろうとという噂が江戸城内に流れた。慌てた家光の乳母春日局は,守役の青山忠俊と相談し,渋谷の金王八幡神社に祈願し,駿府城にいた家康に直訴した。その後の話は有名であるのでここでは割愛するが,目出度く家光が後継者に選ばれ,喜んだ春日局と青山忠俊は八幡宮の御利益であるとして,元和元年に写真の社殿と門の造営を行った。社務所の隣に渋谷区文化財指定の金王桜がある。広重の錦絵にも紹介されているこの桜は,長州緋桜に属し,春にはそれぞれの枝に八重と一重の桜が咲き分ける。この桜の下に松尾芭蕉の句碑があり,

しばらくは 花のうへなる 月夜かな はせを

と記されている。境内の宝物庫には神輿・こうがい・月輪旗・算額があり,毎年9月15日の大祭に開扉して,一般者が見学できる。今でも,大祭の当日は,氏子の神輿集合地帯は道玄坂一帯で,辺りは賑やかとなる。】

という説明も見つけました。
境内社も稲荷さんや・・・御嶽神社などなど・・・。
虎・象・龍・・・ですね。
金王桜です。
【区天然記念物。長州緋桜という種類の桜といわれ、花弁は5〜7枚ですが、オシベが花弁化したものも交じっていて、 一枝に一重と八重の花が入り混じってさく…(略)…江戸時代に盛んに作られた地誌にも紹介され、 郊外三名木の一つとして有名であったことから、代々実生により受け継がれてきた系統のたしかな桜と考えられます。】
ですよ!
満開で来るとまた印象が違ったかも知れませんね。
絵馬には・・・こんなのも・・・
 
御影堂です。
宝物殿も・・・中には文化財がある様です。
  
神社は,それぞれの場面で・・でも,この日も昼休みを境内で過ごす人たちが,ひとしきりお祈りをされている姿も沢山ありました。
  


さて,すぐ南側に,豊榮稲荷神社がありました・
庚申塔には説明もありました。
【庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫という虫が寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、庚申の日に夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀って宴会などをする風習である。庚申塔の石形や彫られる神像、文字などはさまざまであるが、申は干支で猿に例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多い。 同様の理由で庚申の祭神が神道では猿田彦神とされ、猿田彦神が彫られることもある。また、猿田彦神は道祖神とも信仰されるため、庚申信仰が道祖神信仰とも結びつくこととなった。さらに仏教では、庚申の本尊は青面金剛とされるため、青面金剛が彫られることもある。庚申塔には街道沿いに置かれ、塔に道標を彫り付けられたものも多い。これは道祖神など他の路傍の石仏にはあまりみられない機能であり、庚申塔の特色とされている。庚申塔は全国的な分布が確認されているが、地域によって建立数に差が見られる。特に旧相模国を中心とした地域では数多くの庚申塔が建立された。】
だそうです。



もう少し時間があったので・・・國學院大學の方向へ進みますと・・・氷川神社があります。

以下の説明がありますが,だから・・・この地もこの大宮の末社っていうか,そういう感じでしょうか・・・?
【氷川神社(ひかわじんじゃ)は、埼玉県さいたま市大宮区高鼻町一丁目にある神社である。足立郡を中心に武蔵国(東京都・埼玉県)各地にある氷川神社の総本社である。式内社(名神大)、武蔵国一宮、勅祭社で、旧社格は官幣大社。大宮の地名は氷川神社を「大いなる宮居」すなわち「大宮」と称えたことに由来する。主祭神は須佐之男命・奇稲田姫命・大己貴命。他の氷川神社と区別するために「大宮氷川神社」とも呼ばれる。】
なにかの撮影クルーが来ていました。
  
結構,歴史を感じさせてくれる神社で,都心とは思えないくらい,ひっそりとした感じが強かったです。
いくつかの境内社・・・そして狛犬などなど・・・(稲荷では狐様ですが・・・)
でも,少し欠けていたりもして・・・これもまたちょっと心悲しい感じを醸し出していました。
この小さな白い・・・狛犬のペアーは居ませんよ。
   
勇壮な阿吽も居ますが・・・。
 
石段の下の公園には,土俵があって・・・歴史ある場所の様です。



さて,後は,街角で見かけた花を愛でて・・・会議に行きましょう!
渋谷図書館もありました。
  

  
葉桜に至る装いも,また美しいです。
  
さて,もう会議の時間ですよ!