2010.9.24.
日本血液学会で横浜です。
実はポスターは3日間,掲示し続ける,そして,ボクの発表は,9/25だったのですが・・・。
9/25は奈良で保護者会! なので,今は九大に居る三浦先生にポスター前での発表をお願いしました。

曇天,肌寒い・・・・横浜でした。
ランチョンのお弁当箱は,横浜っぽいですね! 中華でした。

さて,日本血液学会は少し余裕があるのと,代議員~専門医の資格維持もあります。
で,パシフィコから港の見える丘公園を往復してみました。
赤煉瓦倉庫ですね,いつもこの規模には圧倒されます。でかい!
ベイブリッジは,結構,この辺りの海岸沿いからは,見えますよね!  横浜税関の古い建物です。
そして,神奈川県庁も古い建物ですよね,これ,きっと
「象の鼻」ってNHKのブラ@タモリでやっていましたね,っていうか,この再開発に併せて,TVでPRしたのかな?
そうか,ここか!
そして・・・山下公園へ!
そこそこ風も強いし,波頭も高い感じです。
潮位の標尺です。
赤い靴履いてた・・女の子・・・です。
異人さんに連れられて・・どこへ行っちゃったんでしょうか???
海を行く船も結構,揺れながらって感じでした。
マリンタワーや・・・パシフィコ,大観覧車~~目印になりますね。
「かもめの水兵さん」って今の子供たちって知っているかなぁ???
サンディエゴ・・・ですか,姉妹都市?
マリンタワー~氷川丸・・・って山下公園っぽいですね,象徴っていうか!
薔薇の庭園もあります。
それでも,2008年に逝去した父が黄色い薔薇が好きだったので・・・。
【山下公園は、神奈川県横浜市中区山下町279にある公園。(風致公園)関東大震災の復興事業として、横浜市助役だった楢岡徹らが、瓦礫などを使って海を埋め立て造成して、1930年(昭和5年)3月15日に開園した。面積は、74,121m²。なお、横浜市は「日本最初の臨海公園」としているが、海に面する公園が当時既に存在しており、定義が明確ではない。】だそうです。
いろんな碑だとか,諸々・・結構,沢山ありますね!
ここのマリンタワーは昇ったことないなぁ・・・・。
公園の東南の端の・・・親水公園っぽい処です。
結構・・・一番上は,コロシアムみたいになっていて・・・。
山下埠頭ってのが,この辺りの埋め立て埠頭ですね。
天候のせいもあってか,人は少なかったですが・・・・。
みんな,氷川丸くらいまでで,他に行っちゃうのかな?
一番端っこのこの岩っていうかモニュメントから・・・水は,さっきの滝までまっすぐに続いていました。
この辺りは,少し岡っていうか,なんか臨海って感じではないですが・・。
でも・・・港も見えています。
   
この風車って横浜でいつも気になりますね!
ここは下にポンプ場があるそうです。
  
そして,ここからまだ,東南東の方へ!
  
人形の家・・・ですね,イプセン? あるいは「弘田三枝子」さんの歌?知らないでしょうね!
「埃に塗れた 人形みたい・・・」ってサビの歌詞でした。
フランス橋で・・・「港の見える丘公園」~っていうか,フランス山だそうです。
 
こちらですね。
結構,有名ですが,来たことなかったかも?
領事館があったのですね!
これは・・・
  
ふ~ん,説明を読むと・・パリからそのまま持ってきたってことですね・・・へぇ~って感じです。
フランス山っていうか,丘に登ると,この風車が目立ちます!
井戸水を汲み上げるための風車ですって!
領事館の跡ですね・・・つわものどもが・・ではないですが・・ちょっとそんな感じ!
井戸もあったそうです。
さて,展望台の方へ向かいます。
  
こういう被害っていうか,事件は,今も絶えないってことですよね・・・。残念乍・・・。
展望台です。
ベイブリッジですよ!!
【横浜ベイブリッジは、1989年(平成元年)9月27日に開通した[1]神奈川県横浜市にある長さ860m(中央支間長460m)の斜張橋(吊り橋)である。東京港方面と横浜港を結ぶ港湾物流の一端を担うことにより、都市部の渋滞を緩和する重要な輸送路である。】です。
さて,薔薇の公園もあります。
父が好きだった黄色い薔薇も・・・です。
薔薇のガーデンですね・・・山下公園にもありました。
そして,イギリス館です。
すっきりとしていますね!
もう「港の見える丘公園」も一番端っこです。
噴水です,イギリスっぽい。。。のかな?
山手111番館です。
【イギリス館の南側、噴水広場を挟んで立っているスパニッシュスタイルの洋館が、山手111番館です。ワシン坂通りに面した広い芝生を前庭とし、ローズガーデンを見下ろす建物は、大正15(1926)年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として現在地に設計されました。設計者は、べーリック・ホールを設計した J.H.モーガンです。玄関前の3連アーチが同じ意匠ですが、こちらは天井がなくパーゴラになっているため、異なる印象を与えています。大正9(1920)年に来日したモーガンは、横浜を中心に数多くの作品を残していますが、山手111番館は彼の代表作の一つと言えるでしょう。赤い瓦屋根に白壁の建物は地階がコンクリート、地上が木造2階建ての寄棟作りです。創建当時は、地階部分にガレージや使用人部屋、1階に吹き抜けのホール、厨房、食堂と居室、2階は海を見晴らす寝室と回廊、スリーピングポーチを配していました。横浜市は、平成8(1996)年に敷地を取得し、建物の寄贈を受けて保存、改修工事をおこない平成11(1999)年から一般公開しています。館内は昭和初期の洋館を体験できるよう家具などを配し、設計者モーガンに関する展示等もおこなっています。現在、ローズガーデンから入る地階部分は、喫茶スペースとして利用されています。】ちょっと長い引用になりましたが・・・。
そこから・・・また,作庭の一部って感じで,斜面に水路・の,お庭です。
晴れていたらもっと素敵だったかも?
欧風な感じが・・・横浜っぽいです。
斜面を降りて行くと・・・神奈川近代文学館ですね。。。。
【神奈川近代文学館は1984年に開館。神奈川県が設立し、管理・運営は財団法人神奈川文学振興会が行っている。横浜市の「港の見える丘公園」内に所在する。大衆文学、児童、詩歌などジャンルごとの大規模展示をはじめ、夏目漱石、芥川龍之介、泉鏡花から有島三兄弟、武者小路実篤、川端康成、太宰治、三島由紀夫、吉川英治、山本周五郎にいたる個人作家の展示など50回以上の企画展を開催し、さらに近年は講演会や講座、朗読会の開催を通じ、文学の普及活動に力を注いでいる。また資料館としては立地条件に恵まれ、資料保存のエキスパートを擁することが関係者に認識されたことから、その数は2005年末で図書約40万冊、雑誌約 41万冊、肉筆資料(特別資料)約15万点以上、資料総数は104万点に達している。収蔵内容としては個人作家、収集家の業績を顕彰するコレクションとしての尾崎一雄文庫、中島敦文庫、大岡昇平文庫、井上靖文庫など40をこえる個人文庫を有するほか、神奈川ゆかりの多数の作家の肉筆資料、書籍類、文芸雑誌を中心とする膨大な雑誌があり、内外の研究者の要求にこたえている。資料の電算処理も国内の水準を越えているが、これをもとにした所蔵情報の公開、資料の保存処理の確立なども視野に置き、児童文学、大衆文学資料の収集も視野に入れた近代日本文学を専門とする国内最大規模の資料館として発展を続けている。初代名誉館長は尾崎一雄。初代館長は小田切進、現館長は紀田順一郎。】との情報です。
霧笛橋を渡って文学館ですね・・・。
ここからもベイブリッジが良く見えます。
緑が多くなっています。
そして,大佛次郎記念館です。
愛猫家だったんですね。
【解説:港の見える丘公園の展望台の右に広がる沈床花壇の奥にアーチ型の屋根と赤レンガの外観が一際目立つ瀟洒な館で、大衆文化の一時代を築いた「鞍馬天狗」などの作者として知られる大佛次郎の記念館。大著「パリ燃ゆ」の執筆時に集められたパリ・コミューン関連資料をはじめ、自筆原稿やメモ、書簡、愛用品、約6万冊におよぶ蔵書などを収蔵・展示している。猫を愛玩した彼の面影を偲んでか、館内には猫もシンボル的に配置されている。なお、大佛次郎は横浜出身で「霧笛」「幻橙」など横浜を舞台にした小説を数多く執筆している。】です。
さて,これでぐるっと回って帰路って感じですね・・・。
いろいろと方向で書いてある土地の名前がいい感じです。。。昭和基地とか!
木々の間からは,ベイブリッジ
そして,この樹は,FIFA-WCの祈念なんですね!
さて,港の見える丘公園から,降りてきて・・・・山下公園通りです。
もう少し青空が見えてもよかったのに・・・。
桟橋から,時に,波頭が道路まで及んで・・・濡れちゃいました。
氷川丸と・・・・鎖の上の・・・鴎たち・・・。
なかなか,整然と並んでいますね!
そして氷川丸です。
でも,やっぱり,横浜のっていうか,一つの象徴ですよね!【氷川丸(ひかわまる)は、日本郵船が1930年に竣工させた日本の12,000t級貨客船。北太平洋航路で長らく運航された。世界的には傑出した存在ではない中級サイズの貨客船ではあるが、その接客設備とサービスの優秀さによって太平洋を往来する著名人たちに愛用され、数多くの逸話を残した船として知られる。船名は「氷川神社」にちなんだもの。多くの日本商船が喪失された太平洋戦争でも沈没を免れた数少ない大型貨客船で、戦後も1960年まで北太平洋航路で運航を続けた。運航終了後は横浜市山下公園前の横浜港に係留されている。】だものね!
80周年だそうですから!
修学旅行かな? って子たちも・・・あるいは中国からの観光客も・・・一杯でした。
そして,「象の鼻」に戻ってきました。
【赤レンガパークと山下公園を結び、象の鼻地区の中央部を通っている「山下臨港線プロムナード」から海を眺めると、大さん橋国際客船ターミナルのつけねから左手方向へ延びている防波堤があります。この防波堤を上から見ると象の鼻に似ていることから、通称『象の鼻』と呼んでいます。横浜の港はここ象の鼻地区から始まりました。横浜市では、この貴重な地区の歴史性や象徴性を活かしながら賑わいや交流の場を生み出すため、広場や緑地を基本とした段階的な整備を進め、開港150周年の平成21年6月2日(開港記念日)に象の鼻パークとしてオープンしました。】です。
【安政5年(1858年)に米、蘭、露、英、仏と修好通商条約が結ばれ、翌年横浜港が開港すると、港には東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)の二つの波止場が作られました。その東波止場が時代とともに少しずつ形を変え、現在の象の鼻の原型となりました。現在の象の鼻は関東大震災後に復旧された形が元になっています。】だそうですが,NHKの「ブラ@タモリ」ではもっと詳しく紹介していた様な・・・・。
   
そして,びっくり・・・横浜市歌は,森鴎外の作詞なんですね!
さて,ぼちぼち,学会会場まで戻ってきました。
なんでだか,福岡県警さんが一杯! でした。