2010.9.17.

おかやま生体信号研究会 第4回例会が岡山理科大学で催されました。

理大には,オルガノンも含めて,もう何度も来ています。
ご発表とともに,今回の取りまとめをなさった久野先生。
歩行機能訓練のモニターのマシンの見学も・・結構,感動でした。
ご発表の赤木先生(見学会でもラボとウォータージェットのご説明をされました)と小畑先生。
参加者も沢山でした。
理大は山の斜面で・・・玄関のある地面は,ある棟では7階だったり・・・。複雑な迷路の様でした。
   
理大からの岡山市街の展望はいつもステキですが,京山の観覧車が無くなりましたね。

さて,今日の「ちょっと寄り道」っていうより「ちょっと回り道」ですが・・・
理大の傍を旭川沿いに抜けて行って・・・牟佐地区まで来ました。
古墳があります。
牟佐大塚古墳です。
住宅街の中です。
【古代吉備国の有力豪族であった吉備上道氏の本拠地は、旭川下流東岸の高島・竜操学区の地域とされています。この地域から北に、竜の口山を隔てた山間の牟佐地区に、吉備地方の三大巨石墳の一つの牟佐大塚古墳が、単独状態で築造されています。牟佐大塚古墳は、復元すると墳丘が直径40m、高さ10mを上回る大型の円墳で、墳丘の中心部分に全長18m、最大幅2.8m、最大高3.2mを計る横穴式石室が南向きに設けられていて、石室の規模の巨大さから、巨石墳と呼ばれています。出土物が不明ですが、六世紀末の築造と推定され、石室の奥には遺骸を納める家形石棺が安置してあり、この石棺は、備中南西部(井原市)産出の石材(浪形石)で作られています。横穴式石室は、今日の代々墓のように何人もの遺骸を葬る家族墓的な埋葬施設です。】ということです。

【他の三大巨石墳のこうもり塚古墳と箭田大塚古墳をはじめ、吉備地方各地の巨石墳は、有力豪族の墓所として本拠地の周辺で築造されています。しかし、この古墳は、古代山陽道の牟佐の渡の要衝の地にあるとはいえ、上道氏の本拠地からは隔たった地に築かれていて、特異な背景があると考えられます。】と,続きます(説明は「(岡山市教育委員会元文化財課長 出宮徳尚) 」によります。
  
それはそれとして入り口に・・・こんな案内板

そうです,この黄色く光っているのが,藻なのです。
 
真上とかから観ると・・・光ってないのですが・・・
 
【ヒカリモ(光藻、Ochromonas vischeri)は、日本各地の水のきれいな洞窟や、山陰などの池に生息する藻類であり、暗所で光を反射させることで黄金色に光って見えることが和名の由来である。普段は単細胞生物として、長短1本ずつ、計2本の鞭毛で移動する。周年で構成される生活環のうち、通常は4月から6月の浮遊期に、疎水性の柄の上に複数の層で構成される細胞塊を形成し、これが鏡のように入射光を反射させることで黄金色に光るように見え、その様子は「金粉をしきつめたよう」だとのこと。光る仕組みについては、かつては葉緑体が光を反射させるとされたが、これは誤りである。しかし、詳しい仕組みについては十分に解明されていない。】ということです,へぇ〜〜 いい勉強になった!
で古墳見学に入って行ったのですが,突然「バタバタァ〜ッ」と・・・
 
そうでう,蝙蝠でした。
確かにね・・・暗い処に,居てもおかしくないよね・・ってことで・・・

外は漸く猛暑も落ち着き,朝晩は少し冷える感じになってきましたが・・・昼間はまだ夏の装いです。
  
古墳の向かいのお宅の庭にも,花々が・・・。
 
今年は岡山も61日間の猛暑日だったそうで・・・・暑い夏でした。



さて,生体信号研究会の交流会には参加せずに,岡大医学部(鹿田)で会議がありましたので,そちらに向かいました。
 
もうすっかり暮れています。



今度も「ちょっと寄り道」っていうか「廻り道」
  
夕映えに誘われて・・って訳でもないですが・・・。
    
後楽園の・・・鶴見橋です。
【旭川を跨ぎ出石町と後楽園を結ぶ橋、それが鶴見橋です。かっては木造の板橋でしたが、昭和5年(1930)の陸軍特別大演習の時に後楽園に本営が置かれることになり、架け替えられました。後楽園の玄関口となることから、意匠は景観上配慮されました。カンティレバープレートガーダー橋で設計は田島治二、高欄意匠は武田五一が担当しました。橋上からの美しい風景だけでなく、近代の土木遺産としても価値が高い橋です。】です。
出石町側の袂には,小さな広場です。
【出石町は、約300年の歴史を持つ後楽園に隣接し、岡山の市街地の中では戦災を免れた数少ない地区であり、また岡山城の城下町であった当時の町割を残しており、旭川の清流とともに都心部にありながら歴史、文化の香りあふれる街として親しまれています。後楽園とともに岡山の歴史を見つめてきた出石町の町並みには、大正時代から昭和初期、そして現在に至るまで、和様混在の様々な時代背景を持った建物が建ち並んでおり、ひとたび路地裏へ入れば、風情漂う味わい深い街並みを形成しています。中でも、後楽園の門前町として賑わった往時の名残りをとどめる伝統的な和風建築や、擬洋風建築が混在する街並みは、独特の街の魅力を醸し出しています】です。そういえば,大学の頃,2年間弱,バイオリンをしていて,出石町の先生に習いに何度か行きました。
もう暮れなずむ頃合いで・・・学生さんや会社員の人たちが,家路へとチャリを走らせてらっしゃいました。
後楽園には丹頂鶴も居ます。