2010.3.24
東京医科歯科大学で,医学系産学連携推進ネットワークシンポジウムがあって・・・一応,大学の代表として行ってきました。
  
知財本部の方が多かったようですが,うちは正直,知財本部は別途に立ちあがっていませんから,庶務係と担当学長補佐でやりくりしています。
宮坂先生・文科省の方のご挨拶の後,京大薬理の成宮教授の基調講演でした。
なんだか,どんどん進んで行ってますね・・・勉強はしておかないと!!
  
医科歯科も雨に煙っていました。
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さて,種々の理由で三原から広島空港へバスで移動・・・三原で時間があったのでテクテク?楽部しました。
  
まずは,三原城址ですが・・・なんと,駅からの階段でしか行けないのですね・・・。
新幹線のホームが本当にすぐ横です。
駅の方向以外にはお濠が残っています。
天守址らしいですが,相当広いそうです。
【三原城は、毛利元就の三男 小早川隆景により、永禄10年(1567年)に築城された城です。東は湧原川から西は現在の臥龍橋付近まで約900m、南北に約700m、この中に本丸、二之丸、三之丸、そして二層三層の隅櫓32、城門14があったといわれています。 当時は、その姿がまるで、海に浮いているように見えたため「浮城」と呼ばれ、豊臣秀吉、徳川家康もここに泊まったと言われています。 三原を代表する祭り「やっさ祭り」で披露されるやっさ踊りは、この築城完成を祝って老若男女を問わず、三味線、太鼓、笛などを打ちならし、祝酒に酔って思い思いの歌を口ずさみながら踊り出たのがはじまりと言われ、それ以来、大衆のなかに祝ごとは"やっさ"に始まり"やっさ"に終わる習わしになったと伝えられています。現在は、石垣とお堀が残り、周辺は、公園として整備されています。】
だそうですよ!!
雨でなければ,情景も違ったかも知れませんが・・・。
さて,再び・・駅の中へ戻って・・今度は下から見上げます。
小早川さんもいらっしゃいます。
    
さて,この広場から少しまだ時間があるので・・進みましょう!
本町の成就寺さんです。それとともに淡島神社も!
お地蔵さんも沢山ありました。
もう一度案内も・・
【 「三原市本町にある 淡島神社は、稲荷神社とともに成就寺の守り神。成就寺は小早川隆景の内室(門田御料人慈光院殿)の実父である15代正平の菩提所でもあるため、隆景が三原に城を移したときに一緒に寺を移し、現在の妙正寺の位置に建立された浅野家に代が移り、浅野家の菩提寺である妙少寺に移すにあたり、重要地にある成就寺を現在の場所に移し妙正寺をそこへ建立された。 淡島神社はその際、成就寺と一緒に移動したといわれている。淡島神社の祭礼は、三原の夏祭りの最初として、旧暦の6月2日(新暦7月17日)の晩より行われ、夜店がこの日より開かれる慣わしになっていた。淡島神社は女神であり、女性の神様として崇められ女性の病気や悩みの解決のためにご利益があり、この地方の女性にはかなり有名であったそうだ。そのため、遠方からも、たくさの参拝客が訪れたそうで、当時の賑わいは、老婦人によって語り継がれている・・・。 また、淡島祭日には、スモモを売る店がたくさん出て、健康食の梅干作りの人でにぎわったといわれ、この日、初めて浴衣を着て、淡島様へお参りすると、昔の恋人に遭えるといわれている。」】
ですって!

桜でしょうか・・・雨に・・・
  
その後更に丘を登って,別のお寺さんに・・・こちらの成就寺さんの伽藍の屋根もみえました。
   

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さて,次は妙正寺さんです。
広い境内ですが・・・花も嬉しかったですね,雨では気持ちは少しふさぎますし・・・
【三原城主浅野家の菩提寺として、延宝2年(1674)東町米田山の麓に創建されました。ところが、当時の山陽道から墓が下に見えるという理由により、わずか20年ばかりで現在の地に移されました。現在の地は、当時敵が占拠した場合、戦略上不利益になると反対があったほど城と城下を眼下におさめられる要所で、瀬戸内海の島々から遠く四国連山まで見える眺望絶景の地です。】
だそうですよ!!
鐘楼も,鐘自体もなんだかほっそりとした感じですね・・・
   
桜もいくつか・・・ってか,桜でしょうね・・違うかしら???
  
でも季節は駆け足で来ていますよ。 雨空が背景は・・・今一つですか?
山門付近にもこれは桜でしょうか?
 
なんにせよ・・・花の色はやはり気持ちを和ませてくれますね。
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さて,駅の方い戻ってきました。バスの時間も近付いてきました。
ほら,駅へ入っていきます。→
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さて三原駅前・・・上城址とは反対側です。
   
そして,やっさ踊りのジョオラマが・・・。
   
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さてANAで広島→羽田でした。医科歯科のすぐ横は,何度か来ておりますが,湯島聖堂です。
   
さてここでも・・・まだ桜満開は・・遠いですが・・・。
そして,孔子像がいつもと変わらぬ様に立っています。
  
あsて,そろそろ医科歯科の会議に行かないと・・・です。
【湯島聖堂(ゆしませいどう)は、元禄時代、5代将軍徳川綱吉によって建てられた本来は孔子廟である。東京都文京区湯島一丁目、JR中央線の御茶ノ水駅聖橋口からでて、聖橋を渡り右手の森の中にあり、「日本の学校教育発祥の地」の掲示がある。湯島天満宮(湯島天神)とともに、年間(特に受験シーズン)を通して合格祈願のために、参拝に来る受験生が訪れる。特に、合格祈願の鉛筆を買っていく受験生の姿が多く見受けられる。国の史跡に指定されている。】
ですね・・。
この辺りは学問が始まった地点だとか・・。
お祈りをして・・・。後にしました。