2010.3.19.

4/7-9で京大会館でISOEAID'10 in KYOTOを開催します。
その会場との打ち合わせで,AMに京都に行ってきました。
どうせなら・・・って朝一番で行って,テクテク?楽部です。
 
さて,当初は東福寺まで行って,京阪で上がろうって思ってたのですが,ついつい京都駅で降りてしまったので,テクテクです。
河原町五条下ルって辺りで,市比賣神社です。
【御祭神は全て女神様をお祀りしているところから女性の守り神とされ、女性全ての願い事にご利益があります。特に「女人厄除け」の神として厄除け女性の参拝者が全国から絶えません】
だそうです。
【 平安時代より市場の守り神である市比賣社は、多くの人々で賑わっていました。昭和2年日本で初めて「中央卸売市場」が京都に開設された折、分社として「市姫神社」が祀られています。「五十日百日之祝」(いかももかのいわい)は生後五十日目か百日目に当社より「五十顆之餅」を授かり健やかな成長を祈り子供の口に含ませる現在のお食べ初めの発祥として知られています。源氏物語など多くの古典文学にも描かれ、歴史にその名を残しています。】
とのことです。

あまり縁がなかったですね。

さて,少し上ルと・・・「京の五条の橋の上 大の男の弁慶が 長い長刀振りかざし  牛若めがけて、切リかかる」五条大橋です。
  
そして,袂橋の袂には・・・こんな像が・・
 
ふ〜ん,源義経の話って皆しっているのかしら??
で,ここから鴨川べりに降りて行きました。
朝で・・・犬の散歩の人,ランニングされる人・・・様々です。
この辺りの料理屋さんは,鴨川を眺める様に出来ていますよね・・・。鱧とかですよね,きっと!
太公望たちも朝も早くから・・って感じです。四条に来ると人通りも多いです。
  
対岸には・・・出雲の阿国の像が・・・

そこからは八坂神社の参道になりますが・・・そこに仲源寺さんがありました・・・商店に挟まれながら・・・・
【仲源寺(ちゅうげんじ)は、京都市東山区にある浄土宗の寺院。山号は寿福山。本尊は地蔵菩薩で、目疾(めやみ)地蔵とも称されて眼病に霊験があるとして信仰されている。また、観音堂の千手観音は洛陽三十三所観音霊場第16番札所である。】
だそうです。
【言い伝えによれば、この寺は平安時代中期の仏師定朝(?〜1057年)が開山となって開かれたとも伝えられ、当初は四条橋の東北にあったとされる。鎌倉時代の1228年(安貞2年)鴨川が大雨で洪水となり、防鴨河使となった中原氏がこの地蔵尊に止雨を祈ったところ雨がやんで洪水も治まったことから、朝廷から「仲源寺」の寺号を下賜されたという。1585年(天正13年)現在の寺地へ移された。】
とのことです。
 

そして八坂神社です。結構,初めてのお参りかも・・・・。
【八坂神社(やさかじんじゃ)は、京都府京都市東山区祇園町にある神社。かつての社名から祇園さんの愛称で呼ばれる。7月の祇園祭(祇園会)で知られ、ほかに特殊神事として白朮(をけら)祭がある。旧社格は官幣大社。中世には二十二社の下八社のひとつとされた。慶応4年(1868年)の神仏分離令(廃仏毀釈運動)により、元々「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」と呼ばれていたのが、「八坂神社」と改められた。八坂神社を総本社とし、素戔嗚尊(スサノオ)を祭神とする神社が、日本全国に約2300社あるとされる。】
だそうですね,なるほど!
広い境内ですし・・・とにかく,境内社が一杯です。
【社伝によれば、斉明天皇2年(656年)、高句麗より来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が、新羅の牛頭山に祀られる素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷に祀り、「八坂造」の姓を賜ったのに始まるという。他にも各種の記録がある。貞観18年(876年)に僧・円如が播磨国広峯の牛頭天王の分霊を遷し、その後、藤原基経が精舎を建立して観慶寺(別名 祇園寺)と称した。延長4年(926年)、ある修行僧が祇園天神堂を建てた。承平4年(934年)に祇園感神院を建てた】
だそうですが・・・1,000年以上も前の話ですね・・。
 
 えべっさん・・・もありました。まだ,本殿まで行けていません。
そして,既に,たこ焼きとかもろもろの屋台さんたちも準備を始めてらっしゃいました。
こおは大国主命です。そしていよいよ本殿!
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で,その前にっていうか,南楼門辺りに・・・花の色に誘われました。
こんなに・・・桜ですよね,早咲きです。
←鶯でしょうか→

花の蜜をついばんでいました。
そして清楚な白い花です。
梅もあります。
  
奥は丸山公園・・・そして,大谷祖廟ですが・・・それは又の機会に・・・。
再び境内に入って・・・奉納殿などの処・・・花です。
一時期暖かかった三月も今日は肌寒いくらいで・・花も戸惑いますか??
本殿にでもご祈願しておきました。
さて,では摂社・末社などなど・・・順にお参りしましょう。
ちなみに本殿は・・・
【国の重要文化財に指定されている本殿は、かつて別棟であった二つの建造物-本殿と拝殿-とを一つの屋根で覆ったもので、他に類例のない建築様式であることから、「祇園造」とよばれている。本殿の建築についての文献上の初見は、
『二十二社註式』所引の承平5年(935)6月15日の太政官符で・神殿五間檜皮葺一宇・天神、婆利女、八王子・五間檜皮葺礼堂一宇 とあり、本殿と礼堂(現在の拝殿)が別棟であることが記されている。元徳3年(1331)に描かれた当社の古図(国指定重要文化財)には、すでに現在の姿の本殿が描かれており、研究の結果、この古図の原本は寛和2年(986)のものであることが判っていることから、本殿建築が「祇園造り」の様式になったのは、承平5年(935)から寛和2年(986)の間とされている。現在の本殿は、明応元年(1492)に再建されたものが正保3年(1646)に焼失したあと、承応2年(1653)10月より工事が進められ、同三年(1654)11月に竣功をみたものである。】

だそうですよ・・・なかなか貴重なのですね・・・。
本当に沢山ですし・・・すべてに歴史が潜んでいるようです。
【摂社 としては 疫神社(蘇民将来),悪王子社(素戔嗚尊の荒魂),冠者殿社(天照大御神との誓約時の素戔嗚尊の御気)】だそうです。
塀の瓦の草が歴史ですよね。
そしてまた市比賣も祀られています。
さて,円山公園には,既に桜が・・・・
遷ろう花の色でしょうか・・
今日の肌寒さでは,少し桜が駆け足で追いしていっちゃったみたいな,感じでした。

でも・・・春はすぐそこって感じですね!!
さて再び境内です。
【末社 :北向蛭子社(事代主神),大神宮(天照大神、豊受大神),美御前社(多岐理比売命、多岐津比売命、市杵島比売命),大国主社(大国主神、事代主神、少彦名命),玉光稲荷社(宇迦之御魂神):玉光稲荷社権殿の「命婦稲荷社」と二社で一体の御社とされている。日吉社(大山咋神、大物主神),刃物神社(天目一箇神),厳島社(市杵島比売命),太田社(猿田彦命、宇受女命),大年社(大年社、巷社神),十社 -- 多賀社(伊邪那岐命)、熊野社(伊邪那美命)、白山社(白山比当ス)、愛宕社(伊邪那美命、火産霊命)、金峰社(金山彦命、磐長比売命)、春日社(天児屋根命、武甕槌神、斎主神、比売神)、香取社(経津主神)、諏訪社(健御名方神)、松尾社(大山咋命)、阿蘇社(健磐龍神、阿蘇都比当ス、速甕玉命),五社 -- 八幡社(応神天皇)、竈神社(奥津日子神、奥津比売神)、風神社(天御柱命、国御柱命)、天神社(少彦名命)、水神社(高?神、罔象女神)】
ってすんごく多いですよ!
これで本殿をぐるりって廻ったことになりますね。
これが十社ですね。
さておおかたお参りしました・・・
さて終えて・・・西楼門からは・・・河原町通りです。


京大会館の方へまた歩きます。
途中疏水の処・・・・満開が!
  

そして京大会館!
無事に盛会になりますように!!!
 

さて,戻った京都駅・・・京都~奈良の・・ゆるキャラ大集合です。
生せんと君,見ました!!