2010.2.3.
4月に実施するISOEAID'10の打ち合わせがあって,阪大・森本教授をお訪ねしました。
新大阪から,JR京都線で,茨木へ・・そこからTIXIなのですが,ちょっとぶらぶらです。
市役所や市民会館は福祉文化センターの辺りを抜けて,中央公園の処です。
広島市との原爆被災に関連する被爆した石のモニュメントです。
   
忠魂碑も・・
  
そして・・・茨木神社です。
行くまでに思っていたより,とっても大きな神社でした。
参道沿いにも・・・えびっさん・・・恵比須神社なども・・
茨木ってお城が元はあったのですね・・・そしてその中の御門が移築されたのが,この神社の東門になっているとのことです。
   
さて,本殿の方に向かいましょう!境内社にお参りしながら・・・。
実に沢山の方々がお参りに来られていました。
【大同2年(807年)、坂上田村磨が荊切の里(地名「茨木」の由来)を作った際、今は奥宮となっている天石門別神社が創建されたのに始まると伝えられる。当時は、現在の茨木市宮元町に鎮座していた。天石門別神社の名は、「延喜式神名帳」にも見える。楠正成が茨木城を築くに当たって現在の位置へ遷座し、以後代々城主の崇敬を受けた。織田信長は統治手段としてキリスト教を保護し、一方で社寺の破壊を行っていたが、天照大御神、春日大神(天児屋根命)、八幡大神(誉田別命)それに信長自身の産土神である牛頭天王(素戔嗚尊)だけは、さすがの信長も恐れて破却しなかった。そこで天石門別神社は社名を隠し「牛頭天王社」と号して破却を免れ、また後になって素戔嗚尊を実際に合祀したという([1]も参照のこと)。元和8年(1622年)には社殿を新築すると共に、従来の天石門別神社を奥宮とし、素戔嗚尊を本殿に遷して本社とした。明治5年(1872年)には郷社に列せられている。】
とのことです。
    
御祈祷を受けられている最中でした。
ネコちゃんは・・・・この神社にいるの? ご近所さん??
 
奥には奥宮として,天石門別神社がありまして, 神明造。天手力男命を祀ってあるそうです。
奥にも稲荷とか・・・沢山の境内社・・・元々のお社が,もう一つ外回りに,殿を整えてあるような皇大神宮もありました。
御稲荷さんです。
大阪ですし・・・商売繁盛ですよね,御祈願!
   
【黒井の清水:豊臣秀吉の茶の湯にも供され、赤井の清水・青井の清水とともに古くから嶋下郡三名水と言われていました。】とのことです。
本当に・・・次々とお参りの方が来られていました。
梅も・・・まだ,莟も多いですが・・
    
そろそろ・・・それでも,花が見られる季節ですね・・肌寒さは変わらないですが・・・。
臘梅(ろうばい)です。
2008に亡くなった父のエッセイにも「臘梅」があります。患者さんたちから頂いていて,実家の医院の中庭で咲いていたそうです。
  

さて,もう少し時間がありますので・・・中央公園を南に・・ブラブラです。
なんだか晴れてきました。
って思ったら,小雪が舞いました(動画)
メインストリートの処ですが,緑や花もあったり,ちょっとなごみます。
   
寺町橋っていうのだったのですね・・っていうか,ここはもともと,茨木川が流れていたようです。
子育て地蔵尊もあります。
  
そして・・・
結構,いたるところに・・・この童子の像が・・・
なるほど・・・茨木童子っていうのですね・・・。
そして,僕の故郷の福知山の近く・・大江山に行ったのですね・・・。
確かに,走っている人もいました・・・子供たちの歓声も聞こえていました。
鳩も寒そうでした。空は晴れてきて,きれいな青なのですが・・・・。
そして・・・日中友好です。
そしてここでも・・・花に出会いました。
こうやって・・・花を見つけることが出来ると,それだけで幸せな気分になりますね。
さて,茨木駅(JR)へ戻ってきました。さぁ,仕事だ!