2010.1.22-23. 東大医学部1号館1階講堂で第9回分子予防環境医学研究会でした。 この研究会は,勉強になるので,皆で参加していますが・・・。 今年は,東大疾患生命工学センター 健康環境医工学 遠山千春先生が会長です。 遠山先生先生が日本衛生学会の編集委員長をなさってらした頃,とってもお世話になりました。 すごい急傾斜の階段教室です(ってか,去年もこの教室が会場でしたけれど)。 今回は,うちの教室からは前田先生に発表してもらいました。 この研究会は1題質疑応答込みで20分ですから,可也充実して話せますし,討議も活発です。 ですので,それぞれが順番に成果を報告しましょうってスタンスです。 座長は,科学技術振興調整費でも御一緒の豊國先生でした。
遠山先生のご挨拶,松島先生の乾杯! そして,特別講演のDr. Gpnzalez のご挨拶などもありました。 特別講演のGonzalez先生は,metabolomicsのお話でした。 最後は,遠山先生のご挨拶と松島先生の締めの言葉でした。 この医学部一号館は本当に歴史ある建物です。 向かいもまだ古い建物・・そして東大の中には,懐徳館庭園ってのがあったようです。
さて,大槻は上京の直前になって・・あるいは東京に到着してから・・バタバタと用事が決まって,実は研究会1日目の午後は,本郷→市ヶ谷→新橋でした。で,時間的な配分で・・・本郷から市ヶ谷までは,まずは,林先生の会場を視察?した後・・テクテク俱楽部(ブラ@タケミ)でした。 東京までは雲の上でして,富士や日本アルプスを雲の上に顔をのぞかせていただけでしたのでに・・・東京は快晴の二日間でした。 本郷から林先生の行っていた会場へ行く途中には・・。 そして,小石川後楽園の裏手を飯田橋方面に向かうと・・・交差点が「牛天神下」でした。 で牛天神・・・北野神社へ・・・ 【鎌倉時代、源頼朝公が当地にあった岩に腰掛け休息したとき、夢に牛に乗った菅原道真公が現れ「二つの喜びがある」と告げられた。翌年その喜びがあり、頼朝公がこの岩を祀り牛天神を創立。以来、境内にある牛の形をした岩を撫でると願いが叶うといいます。】 ということだそうです。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * その近くには諏訪神社・・ここは,まぁ,地元の神様って感じですね。。 そこから道路と高速に囲まれた神田川を越えて・・・ 牛込・神楽坂方面に向かいました。そこには,築土八幡神社です。 という説明です。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * そこから神楽坂方面へ・・・この辺りって初めて足を踏み入れました。 そこからは外堀沿いに市ヶ谷へ向けて散策です。
そこは逢坂です。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * そして,市ヶ谷の亀岡八幡宮です。 ということですよ。 【神武天皇が大和橿原に都を定めたときの神勅に「六合(くにのうち)を兼ねてもって都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)んこと、またよからずや」(日本書紀)とある。ここにあるのは「八紘為宇」という文字であるが、1940年(昭和15)8月、第二次近衛内閣が基本国策要綱で大東亜新秩序の建設をうたった際、「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国(ちょうこく)の大精神に基」づくと述べた。これが「八紘一宇」という文字が公式に使われた最初である。爾来、教学刷新評議会で「国体観念をあきらかにする教育」を論ずるなかなどで頻繁に使用された。国柱会の田中智学もしばしばこの文字を使った。すべて「大東亜共栄圏の建設、ひいては世界万国を日本天皇の御稜威の下に統合し、おのおのの国をしてそのところを得しめようとする理想」の表明であったとされるが、太平洋戦争における日本の敗戦によって、万事休した。】ということで・・・第二次世界大戦のスローガン的ですが,もともとは日本書紀なのですよね・・・。 いくつかの境内社もあります。 そして,茶ノ木稲荷神社です。 【縁起:商売繁昌、衣食住安泰、芸事向上、特に眼病の平癒では全国的に有名......●御祭神稲荷大神【いなりおおかみ】(元々此地の地主神、稲荷山と言われた此丘に数多く祭られていた稲霊、年神様の主神である) 保食神【うけもちのかみ】】 だそうです。 |