2009.12.24〜25

高知大学医学部 環境医学の菅沼先生にご招待頂いて,24日には大学院セミナー
そして,25日に2時限目には,2年生の社会医学基礎講座の講義をしてきました。
高知市内から路線バスで南国市まで向かいます。24日は曇りがち・・・
 

ただ,翌日は快晴! 青い冬の抜ける様な空を背景に・・・高知大医学部と附属病院のキャンパスです。

あら,事務部の建物では・・年末の大掃除の様ですね。
  
川崎医大では,一旦,建物の中に入ると教育も研究も・・ずっと通路で移動なので,動くたびに外の空気に触れるのは,僕には新鮮です。
ヒポクラテスの木・・・は,うちの病院の前庭にもありますね。
清々しい気候です。
そして,土佐は龍馬もそうですが,やなせたかし氏の故郷で・・・アンパンマンの里です。
病院玄関にもアンパンマンが・・・。

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24日の夜は・・・・>>>
【土佐料理といえば、皿鉢料理である。刺し身や鰹のたたき、サバやカマスの姿寿司、その他、季節の旬などを大皿に盛り込んだもの。】
その隠れた名店で,舌鼓を打たせていただきました。
メニューもなく大将の本当にさじ加減っていうか,舌の加減で,その日の仕入れで,料理だそうです。
今日は,くえの鍋でした。
写真は女将と,そして,栄徳先生(助教)です。

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さて,高速バスで高知市内に入って・・一旦宿舎に荷物を置いて・・・で,高知大医学部へ行く路線バスの途中で・・
「一宮神社前」がありますので,おりました・・・
ちなみに「いっく」です。「いちのみや」とかではありません。
  ほら・・・>

そこには土佐神社・・・です。
長いまっすぐの参道です。
【御祭神:●味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ) ●一言主神(ひとことぬしのかみ):『日本書紀』の天武天皇四(675)年三月二日の条に「土左大神、神刀一口を以て、天皇に進る」とあり、また朱鳥元(686)年の八月十三日の条に「秦忌寸石勝を遣わして、幣を土左大神に奉る」とあり、祭神は土左大神とされていますが、『土佐国風土記』逸文には「‥土左の高賀茂の大社あり、其の神のみ名を一言主尊と為す。其のみ祖は詳かならず。一説に日へらく、大穴六道尊のみ子、味鋤高彦根尊なりといへり。」とあり、祭神の変化がみられ、祭神を一言主尊と味鋤高彦根尊としています。この二柱の祭神は、古来より賀茂氏により大和葛城の里にて厚く仰ぎ祀られる神であり、大和の賀茂氏または、その同族が土佐の国造に任ぜられたことなどより、当地に祀られたものと伝えられています。】
ということだそうです。
そうです。来年2010年のNHKの大河ドラマは「龍馬伝」福山雅治さんが,龍馬役です・・
で,6日前にここで撮影があったんですね!!
これは,否応でも,高知は盛り上がるでしょうね・・。
高知出身の広末涼子さんも,出演だし!
中にも入れました。
所謂,通路のところですけれど・・・。
なかなか・・・歴史が感じられます。
絵馬っていうのかな・・・絵画っていうか・・多く飾ってあります。
境内をぐるりと見渡す感じですね。。。。
ちなみに・・・
【御由緒:土佐神社の創祀については、明らかでありませんが、境内東北方の礫石と呼ばれる自然石を磐座として祭祀したものと考えられ、古代に遡ると言われています。延喜の制が布告された平安時代、醍醐天皇の御代には式内大社に列せられ都佐坐神社と称され、特に皇室の崇敬あつく勅使の参向もしばしばあり、朱雀天皇の御代天慶三(940)年には、神階を正一位に進ませられています。鎌倉時代初頭には神仏習合時代に入り、土佐国総鎮守一宮とされました。当社・神宮寺・善楽寺にて一宮を形成、土佐高賀茂大明神と称えられました。室町時代には、武門の崇敬あつく、正親天皇の御代元亀元(1570)年には、長宗我部元親が、本殿、幣殿、拝殿を再興、安土桃山時代後陽成天皇の御代慶長六(1601)年には、山内一豊封をこの地に享けると共に以前の社領を免許し、二代忠義に至って摂社、末社を始め、鳥居、楼門、鼓楼を増築して、土佐の国最上の祈願所としました。明治元年、神仏分離令により、永年続いた神仏習合時代が終わり、明治四年には土佐神社と改称、社格を国弊中社に列しました。戦後、昭和二十一(1946)年官国幣社の制度が廃止され、現在では神社本庁の別表神社とされています。】
ということですから,確かに古いです。歴史です。ヒストリーです。
 やっぱりお供えは「土佐鶴」ですか?

さて,一旦本殿から出て,ぐるりと歩きましょう。
小石を踏みしめながら・・・。
上の賽銭の社はレールで動くようになっているようですね・・。
三が日など・・でしょうか?
境内社もそれぞれ非常に古い感じで・・・やはりこういう処では,千年前にも人々がこうやって手を合わせていたってその想念が残っている重みを感じられるのがよいですね・・・・・。
次第に,裏山をめぐるのが参拝順路の様ですので,そのままにずずっと
ご神木なども・・・
山懐に抱かれた・・とまでではないですが・・背景は本当に山に連なっているようです・・。
少し離れて神明宮があります。
そして礫石・・・
さて,裏をぐるりと回って,境内に戻ります・・・。
こちらには白壁の蔵などもあります。
そして・・・輪抜祓所も・・
僕も潜り抜けました。
歴史ある神社は,本当に・・・人々の祈念の思いが漂っているようです。
もう秋も過ぎて,冬に入っています。そこには厳しさも宿っているようです。
境内社で厳島神社もあります。
この辺りにだけ,色づいた木々が・・。
この色合いが,和みを呼んでくれるようです。
それと・・・絵馬殿がありました。
中にも入れます。
   
そして朱色の鐘楼です。361年前に建立ですか・・・。
少し陽が射してきましたが・
【御神徳:味鋤高彦根神は、大国主神の御子であらせられ、国土の開拓、農工商あらゆる産業の繁栄の神様であることが伝えられ、一言主神は、和合協調の神として一言で物事が解決されるという特殊な信仰のある神様です。これにより当社は、古くより南海の総鎮守として家内安全、農産繁栄、建設、政治などの神様とされ、さらに御功績により航海安全、交通安全、病気平癒の神様と称えられるなど、広く開運招福の御神徳があるとして、崇敬されています。】
だそうですので・・・・セミナーと講義が無事に済むようにとお祈りしておきました。

お隣は・・善楽寺・・・30番札所です。
ご詠歌は以下です。
ひとおほく たちあつまれる いちのみや むかしもいまも さかへぬるかな
【国分寺から高知の市街へ入る手前に土佐一宮がある。かつては神辺郷といい、土佐では最も古く開けたところで、桓武天皇のころ、弘法大師がこの地に巡錫し、土佐一ノ宮の別当寺として善楽寺を建立し、三十番の霊場とした。以来、神宮寺とともに一ノ宮別当寺として法灯を維持してきたが、明治の廃仏毀釈で神宮寺に続いて、廃寺となった。一時ご本尊は安楽寺、大師像は国分寺へ移されたが、昭和四年、大師像や寺宝がもどり、三十番善楽寺は復興する。ところが安楽寺へいったご本尊はかえらないばかりか、安楽寺は三十番の札所を主張し、一歩も譲らないため、三十番を名乗る寺が二ヵ所になり、遍路迷わせの札所になった。しかし、四国の札所は大師の霊跡が主体で、遍路はその霊跡を一途に慕い歩くのである。「いちのみや、むかしもいまも…」とご詠歌にもあるが、善楽寺を三十番とするのが本来の道といえよう。近年善楽寺の本堂は新築されている。】
というようなお話があるそうです・・・。
夕日が斜めに射してきました。

さて,そろそろ時間ですので,また,バス停の方へ,参道を戻りましょう。
途中にも,いくつか心のなごみが・・・。

そして,楼門(神光門)に戻ります。
バス通りの裏は,山間の田舎ですね・・・高速もよく見えますし・・・。

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昨年同様,高速バスで往復したのですが・・・津高の駐車場にスクータを停めて・・・乗り込みました。
  

岡山インターから山陽道に乗って,瀬戸大橋へ・・途中で大学が見えますよね。
  
瀬戸大橋からの眺めは・・・まぁ,いつもと一緒といえばそうですが・・。
比較的よく晴れていて・・川崎造船とかもよく見えます。
  左は高松自動車道 
そして,川之江JCTで分岐して,更にすぐに徳島道と分岐します。
去年もそうでしたけど,四国山地には,山肌とか日陰に雪が残っていました。南国SAを過ぎた辺りで,高知大医学部が見えます。

高知です。龍馬伝を意識しているのか? バスにも龍馬たちが・・。
帰りは高知駅から乗りました・・・。高知は快晴!
  
でも,瀬戸大橋の頃には,曇りで,かつ,夕暮れで・・・。

で,17時前に津高に着きましたが・・そこから大学までのスクータがまぁ,通勤ラッシュの時間帯で・・とっても時間がかかりました,です。

お疲れ様でした。