2009.12.11.

日本免疫毒性学会の運営委員会,そして,日本臨床環境医学会の編集委員会で,東京でした。
今回は宿泊込のANAパックで出張・・・で,東京に早目について・・・上記の二つの会議は,渋谷だったので・・渋谷駅のコインロッカーに資料の荷物を預けて・・・渋谷からってことで,京王の井の頭線と京王線で・・・芦花公園駅まで向かいました。
←芦花公園駅
そこから南下しました。

世田谷文学館ってのがありました。残念ながら休館日でしたけれど・・・。
なんだか,よさそうな文学館・・・次回に訪れましょう!
更に南下すると,こんな看板が・・・。

そして,粕谷辺りには,お地蔵さんがありました。
 
そして・・・・少し東に向かうと,徳富蘆花の恒春園がありました。
あいにくの雨模様でしたが・・・よい処です。
まずは庭園の秋に触れていきます。
結構,鮮やかに・・・秋色が一杯でした。
そして,路可の住居跡がそのまま保存されていました。
明治〜大正の彩です・。。。。,
ここにも秋色は満載でした。
お家の外からも写真は撮れました。
秋の紅葉〜枯葉〜落葉〜黄葉にぴったり雰囲気があいます。
そして,実は中に入れるのでした・・・。
竈とか,五右衛門風呂とか・・・昭和の匂いでしょうか___蘆花が住んでいたのは,大正年間でしょうか?
寒い冬の雨降りで・・・この時は,私だけが訪館していました。
すごく趣のある住居です。
文人って感じです。
でも,当時のこの辺りは,所謂農地だったようです。
生活の様子なども偲ばれます。
さて,ぐるりと巡って・・・また,外に向かいましょう。
【徳冨 蘆花(とくとみ ろか、本名は徳富健次郎、明治元年10月25日(1868年12月8日) - 昭和2年(1927年)9月18日)は、日本文学の小説家。近年では探偵小説の作家としても注目されている。思想家・ジャーナリストの徳富蘇峰(猪一郎)は実兄である。本人は「徳冨」(「富」ではなく「冨」)の表記にこだわり、各種の文学事典、文学館、記念公園などは「冨」の字を採用している。蘆花という号の由来は「『蘆の花は見所とてもなく』と清少納言は書きぬ。然もその見所なきを余は却って愛するなり」と自ら述べていることで明らかである。】
ですよ!
夫人は愛子・・さまです。
当時のこの辺りは,武蔵野の手前で・・でも,きっと田園風景だったと思いますが・・。
【横井小楠門下の俊英であった父・徳富一敬の次男として熊本県水俣に生まれる。熊本バンドの1人として同志社英学校に学びキリスト教の影響を受け、トルストイに傾倒する。後年、夫人とともに外遊の際、トルストイの住む村を訪れ、トルストイと会見した。そのときの記録『順礼紀行』は、オスマン帝国治下のエルサレム訪問記も含めて、貴重な記録となっている。兄の下での下積みの後、自然詩人として出発し、小説『不如帰』はベストセラーになった。また、エッセイ『自然と人生』はその文章が賞賛され、一気に人気作家となった。しかし、国家主義的傾向を強める兄の蘇峰とは次第に不仲となり、1903年に蘇峰への「告別の辞」を発表し、絶縁状態となる。】
という方です・・・水俣生まれっていうのも,衛生学的には重要ですね。
この広い庭園っていうか・・は,当時のこの地域の名残でしょうか??
さて,住居の周りをぐるりとすると,別邸で,ご婦人の愛子さんの住居もあります。
双方ともに,なかなか立派な住居です。
竹の塀とか,風情ですね・・・。
近くには,蘆花の記念会もありました。
なかなか,良いところでした。
【1907年、北多摩郡千歳村字粕谷(現・東京都世田谷区粕谷)に転居、死去するまでの20年間をこの地で過ごした。1910年の大逆事件の際、幸徳秋水らの死刑を阻止するため、蘇峰を通じて桂太郎首相へ嘆願しようとするが間に合わず処刑されてしまう。直後に一高での講演を依頼されると『謀叛論』の題で論じ、学生に深い感銘を与えた(この講演を依頼した学生がのちの社会党委員長となる河上丈太郎であった)。】
20年間を過ごしたのですね・・・。

さて,隣には,八幡宮がありました。
雨の落ちる境内も情緒です。
やはり,こういうところは昔から(田園風景の頃から)鎮座されていたのでしょうね・・・。
八幡宮にも蘆花の影響が垣間見られます。
さて,この辺りは,芦花公園です。ぐるりとしましょう!
いろんな色合いの秋が一杯なので,素適に感じます。
また旧居を観ながら・・・・。
お墓もここなのですね・・・。
ひそりとした公園でした。特に冬の雨の時は・・・。
でも,落葉の絨毯ってすごいっすよ!
【1927年、病に倒れる。伊香保温泉で蘇峰と再会し、「後のことは頼む」と言い残して亡くなったという。蘆花の死後、旧邸宅は夫人より東京市に寄贈され、現在は蘆花恒春園(面積約7万平方メートル)として開放されている。夫妻の墓のほか、徳冨蘆花旧宅も保存されている。蘆花の名前は、公園から徒歩5分の位置にある世田谷区立芦花小学校・芦花中学校、徒歩15分の位置にある京王電鉄京王線芦花公園駅にも残っている。熊本県熊本市には徳冨蘆花記念園、群馬県渋川市には徳冨蘆花記念文学館がある。】
ですって!

残り時間は公園ブラブラです。
黄色い絨毯ですよね。
いちょうが落ちて・・・涙がひとつ・・・
って,今月の大槻のネットラジオ心身健全で紹介している「冬」という歌の歌詞ですが・・。
高校の頃に,作詞でお付き合いしていた,「幸田圭子」さんの作詞です。
↑:こんな子供向けのアクティビティも・・。夏はにぎわうかな?

南寄りには,花壇とか・・・近くの中学校とかの生徒さんが,植えた花などがある様でした。
芦花小学校とか,芦花中学校みたいな名前のようでした。
遊具もありますし,木製ですよね・・・写真はないですが,最近,東京の砂場は金網で囲ってあるのですね・・。
  
そこここで・・・黄色の絨毯です。
寒椿も・・・
冬の日,雨模様で,人が少なかったのでしょうけれど・・・逆に,落ち着いたよい雰囲気でした・
勿論,すぐ横から環八通りの車の音とかは,漏れ聞こえてくるのですが,それを忘れさせてくれるような・・・・。
またまた・・・黄色い絨毯です・・・雪が積もっているような印象ですよね・・・。
  
   
寒椿もまた・・・・りりしく・・・
さて,公園を出ました。
また,京王線の駅に・・・今度は,八幡山駅です。

道端で見つけました。

駅です。

そうそう,京王線の渋谷の駅と言えば・・・・TV「美の巨人たち」で岡本太郎のこの一枚って出ていました。
確かに,すごい迫力ですが,大き過ぎで・・・急ぎ足では見もせずに,通り過ぎそう!
大迫力でした。

帰路は,12/12 朝一番のANAです。空港もクリスマス色!
空路も・・・なかなか・・・南アルプス/赤石山脈でしょね・・〜そして,木曽山脈
御嶽山が・・・・見えているのでは・・・。
  
そして,岐阜県瑞浪市上空から多治見市上空
  
さらには・・・東(右)から木曽川・長良川・揖斐川で,養老山地!
   
そこから関西上空は,雲ばかり・・・。久しぶりに見えたら,既に播磨平野です。
右上の湖は権現ダムによる湖で,加古川市ですね・・
そして,姫路上空では姫路城,手柄山公園,夢前川と菅生川の合流・・などが見えて・・
その西側には,桜山貯水池・・そして,揖保川と林田川の合流地点です。
   

さて岡山空港に着きましたが・・・・荷物はサンタさんの誘導で出てきました。