2009.11.22.

高槻市の大阪医科大学で開催されました第57回日本職業・災害医学会に参加・発表してきました。
残念ながら,第1日目は諸事情で参加できず・・
かつ,午後のアスベストのシンポジウムには,これまた尼崎に行く用事で,参加できませんでした。
その分,AMのじん肺のセッションは,熱心に,拝聴させていただきましたけど・・。

  

大阪医大の教室で行われたのですが・・・びっくりしたのは・・
全部のデスクにnote PCがあって,かつ,それをしまいこむ様に,上蓋のデスクもありました。すごい!
(北里大学の相澤教授もびっくりされてました)。
座長をお務め下さった千葉労災の由佐先生です。
 

さて大阪医大は,一度・・・CBTの説明会に来たことがありました・・・。
秋色が濃く・・・素適な環境です。

京都大学の化学研究所があったのですね・・・。敷地内です。

一応,入っては行けなくなってましたけど・・・歴史的建造物って感じですよね。

病院は,結構新しい感じ・・また,セッションのあった教室も机や椅子も今風・・・
でも,歴史的な建物も混在している・・ってところに,歴史が感じられます。
楠・・も・・
   

  

本館っていうのでしょうか・・・,玄関,病院も含めて,新しい立派な建物です。
その前庭です。
銀杏も色づいていて,一番,きれいな黄色です。
【大阪医科大学は1927年(昭和2)に、日本で最初の5年制医学専門学校として創立されました。2007年に創立80年を迎え、創立より数え約9000名もの医師を輩出してきました。】
だそうです・・・それはそれは・・歴史があります。
  
こんな(↑)建物もありますもの!

北側の道路も・・・銀杏並木・・看護学科の建物が道路を挟んでありました。

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東側の道路には・・・八丁松原がありました。
  

【真っ直ぐ南北に延びる「八丁松原」は、慶安2年(1649)高槻城主「永井日向守直清」が山城国より移封されたころ整備された松の並木道で、かつては高槻城から西国街道まで続いていた。京口より西国街道に通じる八丁(900m)の間にこの道路を新設し、同時に松数百本が植えられ、明治維新に到るまで城主永井氏代々により保護されてきた。】
ということです。

風情がありました。
大阪医科大学の建物も,仰ぎ見ることが出来ます。
そして,この辺りには,普通の住居も結構,歴史ある印象でした。


さて,今回は,JRでした(阪急:高槻市駅の方が表かな?)。


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そして,帰路では途中で尼崎に寄りました。
ちおっとした用事でした。

駅の周辺です。

高槻に着いた頃には,晴れ間も覗いていたのに・・・曇ってきています。
そして,寒くなってきました。
でも,広場もあって・・・お店もたくさん・・・。
フリーマーケットかな? も,していました。
    
この北側の歩道の屋根が,ちょっと近代的っていうのかなんちゅうか(きのこみたい)・・その中に文楽の梅川像ってのもオツです。
    

そして,南側・・・ヤンマーとかクボタとか・・・ちょっとアスベスト研究をしている僕らには・・ある意味,hot spot ですよね!
 
患者の会の尼崎支部もあります。


そして,花々と・・・ニャンコと・・・。

  

ネコちゃん,元気かい????