2009.11.20.

7月に会長を務めました日本臨床環境医学会の関係で,奈良医大住居医学教室:筏教授にお招きいただきまして,セミナーをしてきました。
   
筏先生からは,御著書も頂戴しました。

充分な内容で話せましたがどうか・・・でも,公衆衛生学の車谷教授や,やはり7月の日本臨床環境医学会でお知り合いになりました生理学の高木都教授も来て下さってました。
ありがとうございました。
 
奈良医大です。

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さて,例によって少し早目に到着(結局は,近鉄大阪線の大和八木駅に到着しました・・・この辺りは,JRと近鉄が一杯交差していて,なかなかよくわかりません)して・・散策しました。
昼間は日が射して,それなりに歩いていると暖かい日でした。

向かったのは耳成山・・・・

いわゆる大和三山の一つだそうです(って行って見て知ったのですが・・・)

【美しい笠形の山容は奈良盆地の各所から良く見えます。耳無・耳梨とも書き耳高山とも呼ばれ、(万葉集では青菅山)俗称として天神山とも呼ばれています。山には梔子(くちなし)の木が多く、梔子山とも呼ぶようです。元はもっと高い山(死火山)でしたが、盆地の陥没で沈下、山の頭部だけが残されたそうです。】
のようです。
  
確かに,きれいな円錐形の山です。

麓の公園では,ゲートボール大会のような・・・。
  
そして,この辺りは,溜池もおいみたいで・・・ここは,耳成山公園と,古池と地図に記載されている池がありました。
秋もたくさん・・・
で,ここには耳成山口神社があるそうで・・・参道を登りましょう!
結構,急ぎ足で登ると,しんどい坂道でした・・・でも,まずまずすぐに到着!
ひっそりした佇まいの・・・社です。

万葉集にも出てくる・・大和三山です。
原文:高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉
作者: 中大兄皇子(なかのおおえのみこ)
よみ:香具山は 畝火(うねび)雄々(をを)しと 耳成(みみなし)と 相(あひ)争ひき 神代より かくにあるらし 古(いにしえ)も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき
意味:香具山は、畝傍山(うねびやま)が素敵だと、耳成山(みみなしやま)と争ったということです。神代からそのようで、昔からそうなのだから、今のこの世の中でも妻をめぐって争うのですよ。



香具山と耳成山と闘ひし時立ちて見に来し印南国原 ← こんなのも,万葉集

これは,のんびりとしたネコちゃん! 他の二匹は,足音ですぐ去って行ったのに・・。
それほど広くない境内ですが・・・でも,山頂に近いということで・・・なんか厳かになれます。
さて・・・南の参道から登りましたが,北東に出る参道/山道でおりましょう!

原文: 八隅知之 和期大王 高照 日之皇子 麁妙乃 藤井我原尓 大御門 始賜而 埴安乃 堤上尓 在立之 見之賜者 日本乃 青香具山者 日經乃 大御門尓 春山跡 之美佐備立有 畝火乃 此美豆山者 日緯能 大御門尓 弥豆山跡 山佐備伊座 耳為之 青菅山者 背友乃 大御門尓 宣名倍 神佐備立有 名細 吉野乃山者 影友乃 大御門従 雲居尓曽 遠久有家留 高知也 天之御蔭 天知也 日之御影乃 水許曽婆 常尓有米 御井之清水
作者: 不明
よみ: やすみしし、我(わ)ご大君(おほきみ)、高(たか)照(て)らす、日の皇子(みこ)、荒栲(あらたへ)の、藤井(ふぢゐ)が原(はら)に、大御門(おほみかど)、始めたまひて、埴安(はにやす)の、堤(つつみ)の上に、あり立たし、見したまへば、大和(やまと)の、青香具山(あをかぐやま)は、日の経(たて)の、大御門(おほみかど)に、春山(はるやま)と、茂(し)みさび立てり、畝傍(うねび)の、この瑞山(みづやま)は、日の緯(よこ)の、大御門(おほみかど)に、瑞山(みづやま)と、山さびいます、耳成(みみなし)の、青菅山(あをすがやま)は、背面(そとも)の、大御門(おほみかど)に、よろしなへ、神さび立てり、名ぐはし、吉野の山は、かげともの、大御門(おほみかど)ゆ、雲居(くもゐ)にぞ、遠くありける、高(たか)知るや、天(あめ)の御蔭(みかげ)、天(あめ)知るや、日の御蔭(みかげ)の、水(みづ)こそば、とこしへにあらめ、御井(みゐ)のま清水(しみづ)
意味: 国を治められている大君(おおきみ)の日の皇子(みこ)が、藤井(ふぢゐ)が原(はら)に大御門(おほみかど)をお建て始めになり、埴安(はにやす)の堤の上にお立ちになってご覧になれば、大和の青々とした香具山は東側の大御門(おほみかど)に、春山らしく茂って見えます。みずみずしい畝傍の山は西側の大御門(おほみかど)に美しく見えます。青々とした耳成山は、北側の大御門(おほみかど)に神々しく見え、名高い吉野の山は、南側の大御門(おほみかど)を通じて遠くの雲の向こうにあります。天に届くように高くそびえる宮殿のある、この地の水こそはいつまでもあってほしい、御井(みゐ)の清水(しみづ)よ。藤原宮(ふじはらのみや)の御井歌(みゐのうた)、と題された、藤原宮を称える歌です。


さて,この辺りは奈良盆地・・の南の方・・で,近くの米川に沿って南へ少し歩きます。
   

原文: 無耳之 池羊蹄恨之 吾妹兒之 来乍潜者 水波将涸
作者: 不明
よみ: 耳成(みみなし)の、池し恨めし、我妹子(わぎもこ)が、来つつ潜(かづ)かば、水は涸れなむ
意味: 耳成山の池が恨めしい。あの娘が水に沈んだら、枯れてくれれば良かったのに。(そうしたら、あの娘は死ななくてすんだのに)昔々、三人の男たちが一人の娘を好きになり、求婚しましたが、その娘は、思い悩んだ末に池に身を投げたそうです。その三人の男たちが、嘆き悲しんで詠んだ歌(三首)の一つです。


近くの団地に沿って,公園があります。
秋深い公園も・・・なかなか・・・いい感じです。
 お花も・・・これは,何の花ですか! 大きな花弁でした。
ちょっと怖い感じの石橋っていうか・・・ガタガタと渡ります。
    

近鉄大阪線の踏切とお地蔵様・・
  

そして,山の坊山口神社・・ってさっきの山頂の神社の分社みたいな感じでしょうか?
 そしてなんと・・桜・・ですよねぇ?  
十月桜ってのでしょうか?? 四季桜ってのもあるそうですが・・・・?
いやぁ。。素適な気分になりました。

こちらの神社には・・でも,秋も一杯です。
こんな風に・・・秋盛りです。
本当に,圃畑の中にポツネンと・・という感じでしたけど,こちらもいい感じのお社でした。
参道には花々も・・・

さて,後は,ぐるっと,周辺を・・耳成山を横に見ながら進みます・・
古い建物もあったりして・・・。
   

そして,JRの畝傍駅の近くに・・・八木寺と春日神社がありました。
【境内の地続きに隣接する補陀落山延命院八木寺は、縁起によると、神亀六年(729)長谷寺開山徳道上人創立の霊場で本尊十一面観音は長谷寺の本尊と同木同体とあり、またかつての国分寺跡だとの説は『和名抄』の記事や『大和志』の「国分寺在二 南八木村一 延喜式二曰国分寺料一萬束即此」による。 又当神社神域所在の礎石四個や付近出土の古瓦が、奈良期の寺院形式のものといわれている点から国分寺、八木寺延命院と当社が往古何か密接な関係があり、あるいは神仏習合時代の神宮寺や鎮守でなかったかと思えるが史料がない。例祭は十月二十五日。】
という情報もあります。

中でも繋がっていますし・・・一体化していますが・・。
結構,境内も広いし・・・境内社も,豊川稲荷だったり,愛宕神社・・・金比羅社だったり・・・。
立派な神社ですね・・・今日のセミナーで,うまく話せますように! ってね。
【明治四十三年奉献の八幡鳥居の向こうに東面して建つ素木の春日造。屋根は銅板葺で、棟には千木鰹木を置く。殿内に棟札を置くが、明治二十五年十月二十五日の正遷宮時の棟札の裏面に「当社元来檜皮葺ナリシガ鼬鼠(いたち)ノ類屋ヲ穿ツテ巣ヲ構ヘ失水ノ汚穢ト雨漏ノ朽腐アリ神明ニ対シ畏懼ニ堪エス爰ニ銅板ヲ以テ屋上ヲ修覆ス之ヨリサキ瑞垣大破セリ依テ有志相議リ喜捨シテ石造トナス共明治三十五年八月十日工ヲ起シ同年十月廿五日竣成ス」と記されている。(高市郡神社誌)】
こんな情報がありました。
 
秋に染まってから・・・もう一度八木寺をお参りして・・。
ここにも秋が・・。
  
 

そして,畝傍駅です。既に,橿原神宮と出ています。
 

で,奈良医大まで進んで行きました。
飛鳥川という本当にこの地域って感じの川を越えていきます。
奈良医大のすぐ近くの土手も,秋色ですね・・。
   

そして,セミナーをして・・・筏先生と夕食を御一緒させていただきまして・・・御馳走様でした・・。

で,大和八木から近鉄で大阪・鶴橋に向かって帰路につきました。