2009.10.23-24

日本血液学会・学術集会に参加してきました。
  
今年度は発表もしました。
今回は,旭川での日本免疫毒性学会で知り合った紫連隊さん にお願いしました。
布地のポスターにしました。
 
紙ベースでするより3倍くらい高いですが,持ち運びが楽! 
そして,貼るのも画鋲4つでOK!
そして,見栄えもいいです。
感謝! 感謝!

(ご興味の方は,上記リンクからご連絡ください)

しかし,以前に比べて企業ブースはすごく豪勢!
 

外科系の学会みたい!!! コンパニオンのお姉さんもたくさんだし,コーヒーやアイスもあるし・・・すごいっす!



ついでに,自動販売機の中を見る機会があったので,思わずパチリ!でした。


さて,宝が池,国際会館の周りの秋を散策しました。


秋晴れの好天,朝晩は寒くなってきましたが・・・昼間は歩いているとちょっと汗ばむくらいです。


白鳥もいつもd出会いますが,今日は・・なんか水中の何かを必死で食べている様子でした。


そして,周囲は,足早な秋が・・木々の葉の色付く様子に感じられます。


木漏れ日に映える黄色い葉が,少し切ない秋です。


宝が池・・会場から,そのまま出るだけで,これだけ季節を感じさせてくれるのもいいですね,いつもながら・・・。


ぐるりと回りました。


駐車場の方も,良い具体の紅葉です・・。
少し北で高いってことでしょうね・・・。


そういえば,こんな高い塔もありますよね・・・。


去年,日本免疫学会で12月初めに訪れた時は,もっと紅が素晴らしかったですが,今の,黄色が始まっているのも,なかなか,季節の足音を感じさせてくれます。


いつも比叡の小山を仰ぎ見て・・・

  

あっ,そうそう,写真を撮り忘れました・・・。

三浦由恵先生,井上信正先生,矢野尊啓先生とも出会いました。
矢野先生とは本当に久しぶりに話しました。
今回は,dr. Jaffe も来ていたそうです・・・あらぁ・・出会えればよかったのに・・

勿論,血液内科,検査診断の面々ともお出会いしましたよ!!



さて,土曜日は・・・。

まずは,午前中は,日本衛生学会和文誌編集委員長の仕事として,中西印刷さんにお出会いして,編集業務等々の打ち合わせをしました。

それまで・・鴨川沿い・・それから,京都御苑を散策しました。

三条より北の方・・鴨川の西に,みそ々ぎ川・・・って疏水かと思いますが,並行して流れています。
    

鳥たちも・・・ 
    

そして鴨川の流れです・・・。


河畔には・・花々・・これは桜???


ちょっと季節感が狂うような・・。
   

京都府立医科大学の周囲を歩きました。
   

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御所の方へ行く途中・・

護浄院さんです。


【護浄院。常施無畏寺と号し、天台宗の寺。通称は清荒神(きよしこうじん)。本尊の清三宝大荒神は千二百余年前、光仁天皇の皇子、開成親王の作といわれ、摂津の国にあったのを後小松天皇の勅により僧乗厳が醒ヶ井高辻の地に 勧請し、初めて清荒神といわれた。
その後、慶長五年(1600年)現在の地に移され、後陽成天皇御自作の如来荒神尊七体をあわせ祀って長日の御祈願を行い、元禄十年護 浄院の院号を賜り今日に至る。また、一般の家庭では、かまどの上に祀られ火の守護神とされる。尊天堂内に安置される福徳恵美寿神はもと禁裏に奉安せられていたが、明治維新に際しここに移され、京都七福神の一に数えられ、世に尊信が高い。なお、荒神町の地名はここより起こったものという。】

とのことです。

 

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寺町御門から・・・入らせていただきました。

運動場ではソフトか野球か・・・歓声が響いていました。


大宮御所,仙洞御所の壁づたいに・・・中の方へ・・・。

凝華洞跡があります。

 建札門 

椋の木
   


 宜秋門・・でしょうね。 

 清所門 でしょうか。 

修学旅行生?? 近づいて,警報がなってましたよ!!  おいおい!!

 

白雲神社があります。


【御祭神は妙音弁財天と称え市杵島姫命を祀る。琵琶を家職とする西園寺家に楽神として伝えられ太政大臣西園寺公経卿北山第(京都衣笠大北山の西北、現在の金閣寺がその旧址である)の造営にあたり妙音堂を第一に建立、元仁元年(1224)12月 別当成就心院に回向せしめ皇后邦子内親王(安嘉門院)臨御せられたのを奉斎の始めとする。増鏡、中務内侍日記、太平記等に当時の風雅なたたずまいがうかがわれるがその後同家の盛衰に伴い変遷あり近古には赤八幡京極寺に鎮座されたと伝えられる。明和6年(1769)前内大臣西園寺公晃卿、前右大臣西園寺賞季卿勅許を賜り同家邸内(当地)に妙音堂を再興、天保11年(1840)安政4年(1857)の社殿修築に際しては禁中各御所より御寄付を賜り禁裏御祈祷所と定められた。 明治から昭和にかけて首相あるいは元老として近代日本の礎を築いた西園寺公望卿が家塾「立命館」を開設したのもこの地である。明治11年(1878)神仏混淆の作法を神式に改め社号を白雲神社とする。御神徳あらたかなる霊社として崇敬者は京都府下は元より近畿一円にあまねく。】

ということでした。


京都御苑の中には,他にも神社もありましたよね・・・。

なかなか,広い敷地ですしね・・・。

秋を探しながら・・・

    

そして出水の小川沿いに歩きます。


【南西部の出水の小川は、母子で水にふれあう場として整備された100mほどの人工の小川です。 地下からくみ上げた井戸水が、深さ数センチメートルの浅い小川となって木陰を流れ、夏には水遊びをする子供達の人気スポットです。 水辺にはさまざまな動植物も見られて、また、周辺には桜が植えられて桜の見どころの一つにも なっています。】

でした,確かに!

    

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さて,下立売御門から京都府庁の方に(中西印刷さんは,府庁のすぐ西側です)向かいましょう!


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聖アグネス教会・・・が,目の前にありまして・・・秋が色付いていました。



  

しばらく後に前を歩くと・・中で結婚式・・・でも,新婦は和装だったような・・・

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すぐ横には・・・菅原院天満宮さんです・・。産湯の井戸だそうです!


【 菅原院天満宮神社は、地下鉄「丸太町駅」を出て烏丸通(西側)を北へ徒歩3分ほど。京都御苑の下立売御門の向かい側にある。この地は、菅原道真の曽祖父・菅原古人(ふるひと)の邸宅「菅原院」であったところ。祭神の菅原道真の父是善(これよし)ら曽祖父以来三代が住まったところとされ、石鳥居横に「菅家邸址」の石碑が建つ。菅原道真(みちざね)はこの邸宅で誕生したと言われ、境内社務所の北に「菅公御産湯の井」(菅大臣神社にもある)という石碑と共に井戸があるが、井戸は見る限り比較的新しい。菅原院は道真が亡くなったあと、歓喜光院となったが、後に六条道場(六条河原院)へ移している。その後、この地に菅原道真公を本座とし相殿に父是善卿を奉祀して菅原院天満宮を創建し今日に至る。本殿南には「天満宮御遺愛の灯籠」の石碑と共に、道真遺愛の石灯籠が残されている。境内にはガン封じにご利益があるという「梅丸大神」、天満宮にはつきものの牛、合格祈願の絵馬も祀られていた。】

とのことです。


この井戸です。
  
なるほど・・・
賢くなれるかな???
学問の神様だし・・・。

平安女学院の前を抜けていきますが・・
こんな・・・
 

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さて,中西印刷さんと打ち合わせして・・・午後は思文閣美術館で講演を聞きました。

実はこのチラシを福永学長先生から頂戴しまして・・・学生さんにも以下のような案内を出していたのです。



そして,うまく京都の出向く日程で,講演会・・・予約して,拝聴しました。


神谷美恵子先生とご一緒に長島愛生園や邑久光明園でも精神科医として働かれた茨木病院理事長の高橋先生のご講演でした。

ハンセン病自体の話,入所者の悲しい歴史も踏まえて,そこにどのように神谷先生たちが向き合っておられたか・・・。

また,そういうことが僕らがしている見学・実習にも活かせるようになればと,感動して聞かせていただきました。

ありがとうございました。