2009.8.26-28.
第16回日本免疫毒性学会学術大会で旭川を訪れました。
これまで日本臨床環境医学会で,2回来てます。
で,常盤公園,上川神社,神楽岡公園などは散策しました。

での,今回は,学会1日目の朝・・ちょっと曇りがちでしたが・・・旭川日赤病院の近くの宿からテクテク開始しました。

沿道のコスモスです。
  

旭川市内で石狩川と合流する忠別川の忠別橋です。
川原が遊歩道などが設えてあって,公園になっています。
  

橋の袂の忠別公園です。
  
コスモスも見かけましたが,紫陽花もまだ色を誇っています。
   
公園に土俵があるのは神楽岡公園(去年)もでした。
北海道は確かに横綱も多く産出していますよね!!!

で,大雪クリスタルホールや大雪アリーナと,その近くの公園にたどりつきました。
向かいには,道の駅あさひかわ:地場産業振興センターです。
アリーナです。

そして,白樺が・・・やはり北に来た印象が強くなります。

花々が・・きっと短い夏を惜しむようにこの時期には咲き競うのでしょうね・・。

公園の木々もやはりどこか北の大地を思わせます。はるばる遠くまで来たよねって感じが強くなりますよね!!

さて,そこからまたテクテク・・・
美瑛川に向けて歩いて行きます。美瑛川は忠別川と合流してすぐ両方が石狩川に合流します。

街路樹も北のイメージ,そして向日葵も咲いていますし,沢山の季節が一杯混じった感覚でした。



そして,辿り着いたのは,三浦綾子記念館とその周囲の外来樹種見本林です。

三浦綾子さんの氷点とか塩狩峠とか,高校の頃にとっても好きで読みました。氷点は何度か映像化されていますが,「陽子」のイメージは実はデビュー当時の島田陽子さんのものが一番強い(世代を感じる)ボクです。内藤洋子はもうちょっと前みたい・・・。最近では石原さとみさんも演じていましたけれど・・・。

    
そうですか・・・没後10年ですか・・・


ちなみに塩狩峠について調べてみると・・・

【塩狩峠とは、北海道比布町と和寒町の間にある峠である。標高263m。北緯44度付近に位置する天塩国と石狩国の境界にあり、天塩川水系と石狩川水系の分水界上でもある。また、道央と道北の境界とされる場合もある。1900年(明治33年)に現在の宗谷本線が、2000年(平成12年)には道央自動車道が峠を貫いて開通した。1909年(明治42年)2月28日、ここ塩狩峠の区間に差し掛かった旅客列車の客車最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかけたところ、当時鉄道院(国鉄の前身)職員でありキリスト教徒であった長野政雄(ながの まさお)という男が列車に身を投げ、客車の下敷きとなり乗客の命が救われたという事故が起こった。現在、塩狩峠の頂上付近にある塩狩駅近くには、この事に対する顕彰碑が立てられている。なお、1947年(昭和22年)9月1日、類似した事故が長崎県の旧時津村(現・西彼杵郡時津町)の打坂峠で起こっている。】

小説「塩狩峠」について
この実話を元に、三浦綾子が小説『塩狩峠』を著し、1966年(昭和41年)4月から約2年半にかけて日本基督教団出版局の月刊雑誌『信徒の友』に掲載された。これを記念し、塩狩駅近くには、塩狩峠記念館及び文学碑が建てられた。のちにこの作品は、松竹(監督:中村登、主演:中野誠也)によって映画化もされている。
とのことです・・・・。

さて,外来樹木見本林・・名前がなんかかたいですが・・・も,とっても良かったです。
緑の中を歩くのはとっても気持ちがよいですよね!!

勿論,樹木のことは皆目分からないのですが・・・。
巣箱があるって僕にはとっても素敵な風景です。

赤蜻蛉も・・・
 

花々も・・・・
  

そして,野辺があったり林があったりで,ステキな空間です。

ここにも蜻蛉が・・・
 

白樺は,やはり,北の旅情を募らせてくれますし・・曇りがちながら,うっすらと青空が透けて見えるのも,また,よかったです。
どこを向いても,どれ一つとして同じ風景ではないところが,自然はいいですね!!

アメリカ・イリノイ州のブルーミントン・ノーマル両市との姉妹都市の記念の鐘だそうです。
   

本当に,ひたすらに散策しました。

だんだん,南の方に行きます。南校川と小さなクリークの橋を越えます。

そして,高野松の児童公園から美瑛川の土手に出ます。
   

広い川原です・・。
 
干し草っていか・・これって,なんとなくHOKKAIDO! ではないでしょうか??

あら,ここにも保護色の様に,赤蜻蛉が・・。
 

土手から民家の庭を眺めると・・・いろんな季節が混ざって,でも緑まで満開って感じっすね。。
そういえば,トウモロコシを食べ忘れました。

で,平成大橋の袂から,ぼちぼち会場に向かわないとってことで,上川神社の方へ曲がります。
通学途中の学生さんたちは,既に,上着を着ていました。

JR富良野線を越えていきます。
さっき訪れた大雪アリーナの丸屋根も見えています。
  

上川神社やその横の神楽岡公園は昨年散策させてもらいました。
   

そして,忠別川の新神楽橋を渡って行きますと,旭川市科学館サイパルがあります。

すこし時間が迫ってきたので焦りながら市街地に入ります。
石北本線(旭川(厳密に言うと新旭川)から北見を通って網走へ至るの線路である)のガードをくぐります。
煉瓦造りの倉庫や,木造かな,酒蔵などがあります。

そして,こんなのも見つけました。
銀座通りっていうのかしら???
なかなかすごい迫力の七福神です。

さて,だいぶ会場の旭川市民文化会館が近付きました・

街路沿いの花々も咲き誇ってます。・・・。


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さて,学会2日目・・・荷物を引っ張りながら・・・ホテルから直接会場へ・・

途中の眞久寺さんです。大きな境内です。
こんな歴史のお寺さんです。大きなお寺さんでした。

明治25年6月23日
久志卓動(法名 憲吽)は上川郡旭川村(現旭川市)2条9丁目に草庵を建て、新義本山根嶺(ねごろ)別院(眞久寺の前身)の開基となる。久志卓動は、当時汽車の通ってない滝川まで、徒歩で出札すること数度、時の北海道長官 北垣国道氏に寺院の必要性を訴え、上川郡旭川村に寺院用地として5町歩の無償交付を受ける。その内、5条4丁目を眞久寺の境内地とし、他の用地は他宗の寺院に無償で分与した。
明治40年 :寺号を「成田山眞久寺」と公称する。
明治42年 :比布村に教会所(現大照寺)を開創し入仏供養勤修。
大正10年8月20日 :東旭川教会所の入仏供養勤修。
大正10年6月 :木造権現造りの本堂の建立に着手する。
大正12年5月 :本堂落成する。

向かいの・・・大休寺さんです。
 

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さて,駅前の平和通買物公園---歩行者天国っていうか,で,彫刻もあります。
サックス吹きのおじいさんと猫ちゃん・・・久しぶりですね・・。