2009.6.16.
好天で,ノルマの少ない日でした。
7/3-4に実施する第18回日本臨床環境医学会学術集会
その時に,休憩時間などに,スクリーンにその日の内容の紹介を兼ねて,映像を映しだすための写真をtryしてきました。

市役所(これは上記の学術集会のチラシを記者クラブに持っていったのですが)です。
  

西川緑道公園です
   

そして,後楽園です。
  

入場しました・・・ひたすら写真を撮ってみました。

烏城をバックに・・っていうか,お城にいらしたお殿様のお庭だったんですものね・・。

動画も・・・。


茶畑もあります(五十三次ならば静岡・・いえ,駿河,遠江,駿府ってことかしら)。
そして,田んぼも・・7/5のお田植え祭の準備です。


この辺りの写真は,いくつか使えますかしら??


花菖蒲---これはこの時期だけだけど・・・でも,きれいです。


紫陽花も・・・この季節で・・学会の時には,もう過ぎて行ってしまっているでしょうけれど・・
勿論,赤蜻蛉は・・見つけたから撮っただけです。


本当は,もっと,梅林とか,いろいろありますけれど・・・ちょっと,時間もなかったので,駆け足でした。
まぁ,いつでも行けるっちゃあ,行けますしね・・。


さて,これらの建物は・・。
『延養亭(えんようてい)
 藩主の居間で、園内で最も重要な建物でしたが、戦災で焼失し、昭和三十五年に当時第一級の木材と技術で築庭当時の間取りに復元されました。
 園内外の景勝が一望できるように作られており、歴代藩主もここから眺めました。
 現在もこの景観の保全につとめています。

能舞台・栄唱の間(のうぶたい・えいしょうのま)
 能舞台の周囲の座敷は、能の見所(けんしょ)や接待の場として使われました。
 築庭した池田綱政(いけだつなまさ)は、家臣や領民にも能を見せました。
 次の藩主継政(つぐまさ)の時に改築され、戦災で焼失後、その間取りが復元されました。』


です。
   

蓮があって・・・花も少し・・・

『花葉の池(かようのいけ)
 この池には、大輪の白い花を咲かせる蓮の「一天四海(いってんしかい)」(通称・大名蓮)が夏に見頃となります。
 池には、園内の曲水と沢の池から滝の石組の中に巧みに導かれた水が美しく流れ落ちてきます。』


です。

結構,後楽園は,中心部だけでなく,ぐるりの奥の方が,いい感じなんですよね。



『二色が岡(にしきがおか)
 この一帯は二色が岡と呼ばれ昔は山桜と楓が季節ごとに彩りを変える趣向の林でした。
 今は杉が中心となり、市街地にありながら、野鳥の飛来する静かな林となっています。
 ここには茂松庵(もしょうあん)、四天王堂(してんのうどう)、地蔵堂(じぞうどう)があります。』

ということです。



さて・・後楽園の南門から出て・・・烏城/岡山城を目指します。

旭川の橋を渡ります。


『宇喜多秀家、新城築城に着手
 直家の跡を継いだ秀家はこのときわずか8歳であったが、羽柴(のち豊臣)秀吉の寵を受け、その庇護の下で成長、天下統一の合戦にも従軍し、57万石余を領する大大名となった。そうなると父の頃のままの石山城は大身の大名の居城としてはあまりにも手狭で、かつ構造も古く、57万石にふさわしい城と城下町を整備する必要に迫られた。そこで秀家は、秀吉の天下統一事業も一段落した天正18年(1590)、新規築城と城下町整備に着手する。』

だそうです。

ずんずんと奥へ,それと月見櫓も・・・。

『近世城郭「岡山城」誕生
 築城計画は秀吉の指導のもとに進められた。石山城の本丸を二之丸内郭、二之丸を西之丸とし、新たに本丸を東の岡山に構築、本丸北端に天守閣を築いた。このため城は「岡山城」と、同時に整備された城下町も「岡山」と呼ばれるようになったのである。本丸・二之丸内郭・西之丸は総石垣造りで、西から南面に堀を穿ち、さらにその南には重臣の屋敷地たる二之丸(外郭)を設けた。形式的には、東端に本丸が配置された梯郭式平山城である。しかし、この郭の配置では、城の中心たる本丸の東側の防御が極めて手薄となるため、およそ2km北方を蛇行していた旭川の流れを城郭の北から東側に沿うように変更して天然の堀とし、防御力を強化している。城は8年の工期を経た慶長2年(1597)、天守の竣工をもって一応の完成を見た。』

だそうです。なかなか・・・歴史です。

さて,いよいよ天守閣の方へ!


かなり勇壮な男気の強いお城ですよね。

   

さて,天守閣から,岡山をぐるりと見回します。


後楽園も,まずまず,見えます・・県庁は正面・・・理大の山とかもしっかり・・・


一応,学会を行うさん太ホール(山陽新聞社ビル)も撮影しました。
ここですよ! って・・。

場内には,駕籠や,着物を着て撮影が出来るようなサービスもありました。


はい,展示は・・そこそこに,外に出ました。


でも,いいです烏城!

また石垣や白壁が残っているのも歴史と風情です。



さてさて,また旭川を渡って・・・・後楽園の外回りを廻って,正門の方へ向かいました。