2009.6.15.

大学の用事で,夕刻から倉敷へ・・・
倉敷駅から・・センター街を抜けます。
   
センター街も大槻が高校〜大学くらいの頃は,よく歩いたものです。
当時は,大学祭の仮装行列もこの中を歩きました。1年生の時,戸板の上で練り歩いたことを覚えています。

さて,阿智神社に,センター街の方から向かいました。

思えば・・・たぶん,高校くらいで来たことあるけど・・それ以来かも・・
こんなだったっけ? って感じです。

倉敷には,でも,白壁が似合いますね・・。
こちらは観龍寺さんの倉とか堂でしょう・・・。

そして,季節は紫陽花です。

少しにわか雨になりそうな・・・梅雨ですものね・・どんよりした空でしたが・・。

さて,阿智神社正面近くまでぐるっと回ってきました。

もう記憶が飛んでました,こんなに立派な神社でしたっけ??
結構,荘厳な印象です・・。

注連縄もすっごく太いです。

笙の練習をしている若者が居ました・・・音色が曇り空を突き抜けていきます。

境内も広いし,境内社も多いですね・・。
鶴亀で,石が組んであります。

本殿もなかなかどっしりと落ち着いた感じです。

ぐるりとお参り・・・
天照大神がお隠れになった......様子を模したお社の様です。
だって・・由来がそうですから・・。

そして,それぞれに倉が,白壁です・・。
    
『応神朝に朝鮮半島より渡ってきた漢の霊帝の曾孫、阿知使主(あちのおみ)一族。彼等は「石」「鉄」「織」等の先進文化を担う技術集団として、吉備国の繁栄の礎を築き、当時、島(亀島)であったこの鶴形山に神々の天降られる斎場として、日本最古の蓬莱様式の古代庭園を造ったと伝えられている。白壁の蔵の町、倉敷美観地区の一角にある鶴形山の頂上に鎮座する当社は、この阿知使主一族の大いなる功績を称え、明治時代に現社名になったが、社伝によると神功皇后がこの付近を航行の折、嵐に遭い祈願されたところ、三振の剣が天空より明るく輝いてこの山に天下ったため、「明剣宮」として、宗像三女神をお祀りしたとされている。中世、仏説と混同し、明治までは「妙見宮」と称され、旧倉敷総鎮守の宮として近郷近在の人々の尊崇を集めてきた。祭神の宗像三女神は皇祖神、天照大御神と素盞鳴尊の娘神で、海の守護神であり、交通交易、財宝、芸術、美の神でもある。その他、応神天皇を始め、約三十柱の神々をお祀りしている。また山には神々をお斎りする磐坐(いわくら)が点在し、古代から神の島として崇められてきたと思われる。』
とのことでした。

緑が深い季節で,そして夕刻・・・雨が来そうな空模様・・で,空気も重く・・でも,それは敬虔は想いです。
神楽殿の舞台もありました・・

そして,ここは鶴形山で,鶴形山公園になっています。
いろんな碑や・・・茶屋や・・・。
回っていくと,天然記念物の藤がありました。
『岡山県天然記念物「阿知の藤」は、アケボノフジという珍種である。根回り約1.5m、根元周囲約2.2mで、同種の藤としては全国一の巨樹とされている。20m四方に枝を広げ、淡紅色の花が大藤棚一面に咲き誇る様は可憐でいて、見応えがある。この藤は、鶴形山の真北に位置する福山で、太平記にある「福山の戦」があった時、敵勢三万に対し、地元勢千五百人が三日間善戦し全滅したことから、慰霊の為に再生のシンボルとしてアケボノフジ(不死、不二につながる)を植えたのではないかという説もある。樹齢については、藤には年輪が無いため諸説がありますが、阿知の藤は県の天然記念物指定当時の調査によると、300から500年といわれています。(樹木医・山本利幸氏診断)老木のため寄る年波には勝てず、一時は枯死寸前に陥ったこともあったが、地元住民らの働きかけで治療を施したことにより樹勢が回復した。今では毎年4月下旬から5月5日の藤祭りに藤棚の下、和楽の演奏やお茶席が出て、多くの人で賑っている。』
とのことです。
小さな遊具場もありましたけど・・・。


そういえば,一時期,共同研究をしていた大学院生さんは,ここで結婚式を挙げていましたね! いいね,それも....・

さて,この後,南側に降りていきました。

こちらは・・甍の波です・・
   

そして,昔ながらの町並みが残る・・・東町って辺りかな・・そこにたどり着きます。

今日の用事は・・倉敷国際ホテル・・
美観地区周辺の路地を抜けて行きましょう!

倉敷川の河畔・・大原邸・・です。
  

大原美術館の外回りをぐるり・・として・・・。

    
さて,倉敷国際ホテルです。
    

紫陽花のランプ・・・倉敷段通・・そして棟方志功の巨大な版画!
    

そして,会食です・・