2009.2.7.

夜行で東京駅に朝到着!
ぶらぶらと,東京湾の方へ向かいました。
八重洲口真正面を,ひたすらあるいたのです。


日本橋から新川に向かう辺りには,亀島橋がありました。
下に流れるのは,亀島川です。

江戸の名残はそこここにあるのですよね・・・
芭蕉もここで,一句ひねったとか・・・。

この辺りで,隅田川を跨ぐ中央大橋の雄姿が見えてきます。


ネコが居て・・・小さな祠があって・・・・




それで・・・その近くに於岩稲荷田宮神社です。

そう四谷怪談の於岩さんです・・。

都旧跡 田宮稲荷神社跡 所在 新宿区左門町十七番地 指定 昭和六年十二月二日
文化文政期に江戸文化は爛熟期に達し、いわゆる化政時代を出現させた。歌舞伎は民衆娯楽の中心になった。「東海道四谷怪談」の作者として有名な四代目鶴屋南北(金井三笑の門人で幼名源蔵、のち伊之助、文政十二年(一八二九)十一月二十七日歿)も化政時代の著名人である。「東海道四谷怪談」の主人公田宮伊左衛門(南北の芝居では民谷伊右衛門)の妻お岩を祭ったお岩稲荷神社の旧地である。物語は文政十年(一八二七)十月名主茂八郎が町の伝説を集録して、町奉行に提出した「文政町方書上」にある伝説を脚色したものである。明治五年ごろお岩神社を田宮稲荷と改称し、火災で一時移転したが、昭和二十七年再びここに移転したものである。
昭和四十三年三月一日 建設   東京都教育委員会


だそうです。
小さな梅の木に・・・でも,花はほんのりと咲いていました。
   


そんなに広くはないのですが,お庭もそれなりに整って,落ち着いた神社でした。

でも,舞台などで四谷怪談をする時には,関係の方は参られるそうですよ・・・・。


さて,隅田川を中央大橋で,越えます。


この辺り・・高層マンションとかが一杯で・・・江戸情緒っていうより,マンハッタンみたいな・・。

それで佃に入ります・・・。

佃煮(つくだに、fish boiled in soy sauce)とは、東京都中央区佃島を発祥とされる海産物の煮物のこと。大阪市西淀川区の千船駅そばの「佃島」から江戸時代に多数の住民が移住しており、彼らが創始したものとされる。一般に海産物、とりわけ小魚、アサリなどの貝類、昆布等の海藻類、山地ではイナゴ等の昆虫類などを醤油・砂糖等で甘辛く煮染めたものをこう呼ぶ(なお、醤油・砂糖等で甘辛く煮染めた、今日で見られるような佃煮を作り始めたのは東京・浅草橋にある「鮒佐」だといわれている)。牛肉の佃煮も目にする。ご飯と一緒に食べると美味とされる。

ですよね,発祥の地です。

佃公園沿いに,隅田川沿いにあるいていきます。
亀島川に入るところには,水門もありますね・・・。
いろんな船も停まっています。

で,高層マンションのそばは,まぁ,今風の公園ですよね・・。


桜並木も・・・春にはステキでしょう・・。

憩いの場所でしょうか?
小鳥も居て・・・土曜日の朝のゆったりした・・・また,この日はそれほど冷え込んでも居なかったし・・・・


で,佃煮の発祥を感じさせてくれる・・・古き情緒もありました。
水門で,少し水を引き込むようになっています。
そこには,船宿があったり・・します。

赤い欄干の橋を渡って・・・・住吉神社です。




「西の海阿波伎の原の潮路より顕われ出でし住之江の神」とト部兼直の和歌にあるように住吉大神は、遠き神代の昔、筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原に於いて顕われた伊邪那岐大神の御子、底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命の三柱の神です。神功皇后三韓征伐の際、住吉三柱の御守護により無事達成され、その帰途、摂津国西成郡田蓑島(現 大阪市西淀川区佃)にて、住吉三柱を遥拝なさいました。これが大阪佃の住吉の社(現 田蓑神社)の起こりです。その後、天正年間より大阪田蓑島の人々と徳川家康公とが深い関わりを持つようになり、家康公の漁業の傍ら田も作れとの命により、村名を田蓑から佃へと改め、また田蓑の名を残すため神社名を住吉神社から田蓑神社へと改めることとなりました。 その後、家康公が関東下降の際、摂津国佃の漁夫33人と住吉の社の神職平岡権大夫好次が分神霊を奉載し江戸へ下り、寛永年間に幕府より鐵砲洲向かいの干潟を賜り築島しました。そして故郷の名をとり佃島とし、この地に社地を定め、正保3年(1646)6月29日 住吉三神、神功皇后、徳川家康の御神霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起源です。

だそうです・・・。

土地柄でしょうけ,鰹塚です,そして,二宮尊徳さん・・・なんか,お久しぶりですね。


煉瓦作りの倉庫があったり・・・白梅紅梅も,椿も咲いていました。


境内社もいくつかあって・・・・


お参りの方も結構沢山来られてました・・・・。
地元の・・・多分,マンションではない,旧来のおうちの方々でしょうね・・・。



ぐるりと月島駅の方に向かいますが,渡船の渡しの跡とか・・・
別にある波除稲荷には,漁業関係の方のご寄進のお名前が一杯でした。


梅や・・・蜜柑や・・・・。
  

引き込んだ川の向こうに,おうちに挟まれたお社もあります。
 

   

で,波除稲荷さんでした。



それでも・・・なんだか,古い江戸・・・下町っぽいっていうか,さすが,佃煮発祥って感じでした。