2009.1.30.

大槻が代表を務めます科学技術振興調整費「アスベスト関連疾患への総括的取り組み」
今年度の運営委員会が国立がんセンターで行われました。

日帰り東京です・・・。

雨模様でしたが,丁度,国立がんセンターは大江戸線沿線・・・で,初 両国 でした。

江戸東京博物館ってのがあって・・・
その前には・・とっても大きな(っていうか,乗っかっていますが)
徳川家康公が何かを見つめていました。




少し進むと・・・

慈光院さんというお寺さんです・・・。
門番さんが居て,幼稚園も併設で,入れませんでしたが・・・。
関東大震災に際して・・の築地本願寺の関連のお寺さんのようでした。



そして,その奥というか,北側に・・・

横網町公園・・・東京都慰霊堂がありました。

知りませんでした・・・。大きな廟があり,塔もあります・・・・。

関東大震災での身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を祀る廟で・・・また東京大空襲の被災者の御霊も祀ってあるそうです。


やはり,どこでも天災であれ戦争であれ・・・。

謂れもなく,生命を途絶えざるを得なかった不幸には,心が濡れます。



【東京都慰霊堂がある横網町公園は元陸軍被服廠があった場所である。この地にあった被服廠は大正8年に赤羽に移転し、その後公園予定地として更地になっていた。1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が起きると、この場所は多くの罹災者の避難場所になった。多くの家財道具が持ち込まれ、立錐の余地もないほどであったが、周囲からの火災が家財道具に燃え移り、また火災旋風が起こったため、この地だけで(推定)東京市全体の死亡者の半数以上の3万8000人程度が死亡したとされる。】とのことです。

復興記念館も,古き建物ですね。
 


花壇などもあり・・・公園としても和みます・・・

冬の氷雨に,早咲きの梅が・・・花びらを濡らせていました。


加えて,震災記念屋外ギャラリーとして・・・焼けて解けた鉄の諸々・・が,悲惨さを静かに強く物語っています。


 


日本庭園も設えてありました。

北側の入口近くには・・・紅梅白梅です。


そして・・・日本庭園ですが・・・冬の雨に,全部が少し寒そうです・・。

冬の木と書いて,柊ですよね・・・・。


冬の公園・・・って・・・・更に雨で・・・場所柄か・・・

傘を打つ雨の音が,心の鼓動を,それでも呼び起こすように聴こえてくるようです。
少しの意匠だけのすっきりした日本庭園からも,廟や三重塔が観えます。
そこに一筋・・・生命の重さを感じなければ・・・。


さて,慰霊堂の方に廻っていきますが・・・。


中は・・・・仏教方式の建築で・・・

【本堂は伊東忠太設計によるもので、寺院風の建築となっている。200坪の講堂を持ち、三重塔がその奥にある。三重塔は高さ約41mで、基部は納骨堂となっている。講堂には祭壇があり、震災死亡者、空襲死亡者の霊をそれぞれ合祀した巨大な位牌が2基祀られている。】ということで,伊東忠太氏は,建築会で初の文化勲章受章者だそうです。
で・・・でも,西洋の教会の佇まいもありますね・・
基本的に,祈りを捧げるところです。



三重塔の方へと周っていきます・・・。
雨に打たれてはいましたが,勇壮な趣もある塔でした。

 

緑も多い中に・・・被災者の冥福を祈ります・・・。
  



で,両国といえば・・・つい先だって,朝青龍の復活優勝で初場所が終了した,大相撲です。

おまけに,この日は十両力士「若麒麟」が大麻所持の現行犯で捕まった日でもありました・・・。


公園を抜けると・・・国技館が観えます・・。

この辺りも・・江戸情緒っていうか,関連のたて看板も・・・。

幟も・・やっぱりこれぞ相撲の雰囲気ですよね・・・。明武谷とか好きでした・・・。
旭富士とかも・・北天祐とか,霧島とか,若嶋津とか・・・。


まだ若手の力士さん・・・お買い物???