2008.10.02.

朝・・・黒崎近辺をテクテク倶楽部しました。

 「中心部を九州西部の大動脈である国道3号と門司港〜博多間を結ぶ鹿児島本線が併走する。この南側は商業地であり、北側には安川電機、三菱化学、黒崎播磨などの工場が洞海湾沿岸に立地する工業地帯であり、北九州工業地帯の一郭を成す。」という辺りだそうです。

ただ,昨今は,若干の商業的衰退も余儀なくされている地域の様で,黒崎駅も,以前は,博多,小倉に次ぐ乗降客数がったそうですが,最近は,他の駅に抜かれてもいるそうです。
 黒崎駅です。 



で,黒崎城跡に昇る辺りに・・・

光圓寺さんが,ありました。大きな伽藍でした。
         

そして,結構な坂道を登っていきます。
黒崎城跡です。
           
そしてこの辺りは,城山緑地となっています。

           

小高い丘ですが,「道伯山」というそうです。

           

西側には,三菱化学黒崎工場,安川電機の工場が並び立っています。
         
 やや南よりに市街地・・・手前の緑は,春日神社でしょうか・・・。

東側では,木々の間を抜けて,朝日が差し込んでいました。
 


東へと降りていくと・・・。
   
住吉神社,住吉稲荷大社です。隣接しています。
           

           

坂の斜面に,ちょっとへばりついている感じですが・・・。
あまりお参りには来られないのかしら?
       


それで,さらに東側は・・・というか城跡も含めて「城山緑地公園」となっているようです。
  

東側は芝生広場とか・・・。モニュメントとか・・・。整備されています。テニスコートとかも・・。
           

           
芝生広場の彼方に三菱の煙突が見えるのは,ちょっと象徴的ですよね・・。

で,道路一本,東へ渡ると,妙見山で,ここも少し麓は公園になっています。
で,そ妙見神社って地図にあって・・・行って見ましたが・・。
なんだか,社も壊れていて修理中? 鳥居も埋まっているの?

あれあれ・・・って感じでした。
           

さて,昇った黒埼城跡を眺め上げていきながら・・・。南西へ向かいます。
  


街角の小さな花に,気持ちが安らぎますね・・。
 鹿児島本線を潜って・・・。

石畑公園です・・。
           
猫が朝のくつろぎ・・・でした。
  

その南側に,春日神社がありました。

いくつかのお社の出先(?っていうのかな?)にもなっている様です。
広い境内で,テープでしたが,朝の雅楽が流れてもいました。
正門(?)ではなく,東北側の鳥居から入りました・・・。
         
           

境内を歩いて・・・南側の鳥居の方に降りたり・・・しながら,西側・・・駅向きの参道へ向かいました。

         
           

狛犬も,牛も・・・鎮座しています。

         
         


ちょうど,春日神社の参道の辺りに,浄蓮寺に地蔵さん・・・お寺さんには,寄れませんでしたが・・。
 
で,少し西南に向かうと・・・長崎街道です・・・正覚寺さんもありました・・・。
         


そう,春日神社参道から西南へ伸びている道路は,旧長崎街道で・・・黒崎は宿があったところの様です。
  
         

商店街になってます・・・少しガレージ商店街的なのかも知れません・・。
黒崎は,駅を中心に,放射線状に道が伸びていて,かつ,環状になっている道が南半分にはくもの巣っていうと変ですが,そんな感じで,街が伸びています。
ただ,それはどうも,まだ,自動車とかが一般生活に普及する少し前くらいの感じで・・・
少し,この辺りが時代と合わなくなってきている・・部分かも知れませんね・・。

商店街の中には,道路を守り,商売繁盛を祈る猿田彦を祀る興玉神もありました。
           

長崎街道の神社のひとつ・・・岡田宮がありました。

         
           

慶長10年(1605年)頃,山寺町から現在地に移った古事記にも記載されている古い神社だそうです。

           

このような説明もありました。
 
「古代洞海、菊竹ノ浜(貞元)に熊族が祖神を奉斉した地主神で岡田ノ宮と称す。神武天皇、日向国より東征の途次本宮に詣り天地神祇(八所神)を親祭し、ここに一年留まり給ふ由「古事記」にあり、この処を熊手と号す。神功皇后、三韓征伐の折りに熊手出岬(皇后崎)に到り、当宮に詣り八所神を親祭す。これを岡田ノ三宮と称し「天」「地」「人」三才に表し神輿を菊竹ノ水門にて蓬莱、方丈、瀛州(権内裏)三嶋に捧げ神事を奉行し、在庁官人達これを輔けて行粧厳重なりと伝えられています。古来より当地は北九州における海陸路の要(洞海舟溜、皇后崎津、太宰府官道)に位置し、皇室、公家武門、武将の祟敬あつく祭礼法度を定め社領十八所、末寺九坊と栄えたり。慶長十年黒崎築城のさいに筑前六宿の起点となり、現在地御奉遷座いたし、福岡藩祈年社、黒崎宿の産土神と定格され、皇后崎津の舟子を舟町(黒崎港)に移し、京阪船便が定められ以来長崎街道参勤の九州大小名等の祟敬高く造営、社参奉弊等厚く、また上り下りの文人墨客等の来社数多く、現在は黒崎地域四十五町の産土神と敬仰されています。」

土俵もあります。
           

境内社も沢山ありました。

           
           

少しだけ,駆け足の秋が訪れている感じでしたね・・・。
朝陽に木々が映えてます。

           
       


さて,黒崎駅前に戻ってきました。

まぼろしの山城のモニュメント・・・と元気な子らの銅像と・・。
   ・・・

だいぶ朝陽も上がってきて,さっき昇った黒埼城跡もくっきりとしてきています。
  

長崎街道の説明もありました・・・。
 

そして,産医大に向かうのに,まずは,折尾の駅まで・・。

で,結構,博多辺りへの通勤に特急を使われるのでしょうか・・・。

ソニック有明が通り過ぎていきました。