2007.12.10.日本免疫毒性学会編集委員会
会場は,国立環境研の東京会議場で,日比谷公園が遠く見えてました。
夜は,日本臨床環境医学会の編集委員会
田町で,行って,その後,編集委員会の忘年会みたいな感じで会食でした。

新幹線の車窓の景色を少し・・・


岡山の旭川です。


岡山県吉井川です。
浜名湖です。
富士山です。
帰路の富士山は,少し頂上が雲に
隠れていました。

さて,少し早めについて・・・
新橋から愛宕山まで,足を伸ばして・・・
「汽笛一斉新橋を 早我が汽車は離れたり 愛宕の山に消え残る 月を旅路の友として」」
の,愛宕の山です。

愛宕神社です。
石段は本当に急でした。ちょっとふ〜ってすると,倒れそう・・・。
でも,この石段は,「愛宕神社に上がる石段は「出世の石段」と呼ばれています。」だそうです。
「愛宕神社は慶長8年(1603年)、徳川家康の命により江戸の防火の神様として祀られました。」 とのことです。
「主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと) です。ほかに罔象女命(みずはのめのみこと・水の神) ,大山祇命(おおやまづみのみこと・山の神) ,日本武尊(やまとたけるのみこと・武徳の神)
を正面社殿に祭ってあります。」ということです。
「境内には末社として太郎坊社(猿田彦---->天狗さん) ,福寿稲荷社 ,大黒天社 ,弁天社 があります。」
ということです。
紅葉が・・・勿論,だいぶ散ってもいましたが,まだまだ,鮮やかでした。
「また、徳川家康が信仰し、天下とりの祈願をかけた勝軍地蔵菩薩(行基作) 巳年・辰年の守り本尊の普賢大菩薩をお祀りしています。」ということです。
「愛宕神社って何に効くの?」ってよく聞かれます。薬じゃないんだから「効く」ってことはないと思うのですが、次のようなことに御利益があります。
効能 「火に関するもの:防火、防災」,「印刷・コンピュータ関係」,「商売繁盛」,恋愛、結婚、縁結び」だそうです。
池には枯葉も浮いて・・・・それほど広い境内ではないですが,彩り一杯でした。
その急な石段を馬で登ったという史実があるそうです。
桜田門外の変で水戸浪士が集まったのが,ここらしいですね。
境内を少し外れると,そこにも鮮やかに色づく葉が見られました。

東よりには,石段ではない,少し緩やかな参道・・・や,石段(それでも急だけど)がありました。
途中には,地蔵尊もありました。
この途中には・・・「フェルミエはチーズ屋さん。田崎真也ワインサロンでは色々教えてくれます。」がありました。
 


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さて,愛宕の山・・・神社の隣には,NHK放送博物館があります。
ひなたぼっこの
猫ちゃんたちも居ました。


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愛宕トンネルのところには,
傳叟院さんが,ありました。
前庭はあ小さくされてますが・・・
植物も触れるようになってました。
愛宕森タワーもあって,この辺りは,総合開発っていうか,それでも歴史などにも配慮されて進められたようです。


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さて,そのお隣には,青松寺
青松寺(せいしょうじ)は、東京都港区愛宕二丁目にある曹洞宗の寺院。
江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つで、太田道灌が雲岡舜徳を招聘して文明8年(1476年)に創建。当初は武蔵国貝塚(現在の千代田区麹町周辺の古地名)にあったが、徳川家康による江戸城拡張に際して現在地に移転した。しかし移転後も長く「貝塚の青松寺」と俗称されていた。
境内に「獅子窟学寮」を擁し、幾多の人材を輩出、明治8年(1875年)には、獅子窟学寮内に曹洞宗大学林専門本校を開校し、翌年、港区高輪の泉岳寺学寮、文京区駒込の吉祥寺学寮「旃檀林」と統合し、今日の駒澤大学へと発展した。
最近では、東京工業大学の上田紀行助教授を招いて、仏教ルネッサンス塾やボーズ・ビー・アンビシャス!!を開くなど、現代社会に求められる仏教・僧侶の在り方を模索している。
向かいは慈恵会医大です。
境内も広く・・・意匠にいろいろと手が加わっているようでした。
境内には,紅葉も散らばり・・・情念を清めてくれますね。
目立たないところには,龍も居ました。