亥鼻公園/城址の周辺のいくつかのお寺さんにも参らせていただきました。
岡になっている城址の周りに点在していました。

まずは,高徳寺さんです。

曹洞宗。龍興山高徳寺。正平20(1365)年、原胤高(四郎)が開基として建立されたと伝わる。本尊は地蔵菩薩。亥鼻城址公園のすぐ南にある寺院。胤高はほかに柏崎(千葉市中央区生実町柏崎)に、聖山志賢を開山に報恩山宗徳寺を建立したと伝わる。
山門を入って左手にある七曜紋瓦の閻魔堂には閻魔大王座像が納められている。また、塩を奉納すると霊験があるという「いぼとり地蔵(塩地蔵)」がある。

------->ということですが---塩地蔵さんは,分かりませんでした。

さて,こちらは東禅寺さんです。
 曹洞宗。金剛山東禅寺。嘉暦2(1327)年、千葉介貞胤によって建立されたと伝わる。本尊は薬師如来。先年再建された堂宇はまだきれいである。寺のある谷津(東禅寺谷津)は亥鼻城の天然の堀だったか。この谷津を源流としていた川(東禅寺川)にかかっていた橋で、千葉介常胤の六男・胤頼(六郎大夫)が頼朝を待っていたという伝説がある。かつて都川にかかっていた「君待橋」と呼ばれていた橋がその橋だが、昭和54年に現在地に鉄筋コンクリート橋として、やや上流に移され再建されている。かつて橋のかかっていたところには「君待橋之碑」が建っている。

----> ということです。さて,その橋事態までは行けませでした。
しっかりした伽藍の落ち着いたお寺さんで気持ちが静まりました。

続いて,胤重寺さんです。
浄土宗。光明山胤重寺。本尊は阿弥陀如来。ほか鎌倉期の千手観音菩薩坐像、薬師如来坐像がある。千葉介常胤の孫・武石胤重(左衛門尉)の菩提を弔うため、武石氏の末裔である栴譽雲巖が永禄元(1558)年に建立した。寺には瓦などに月星紋がちりばめられている。背後に千葉亥鼻城址公園(郷土資料館)があり、となりは千葉県立中央図書館である。境内には武石胤重の墓、揚心流柔術の一派・戸塚揚心流をひらいた戸塚英俊(一心齋)とその子・戸塚英美(彦九郎)の墓(県指定史跡)がある。英俊は江戸に生まれ、沼津藩師範を務めたのち、幕府講武所の教授に抜擢された。戸塚英美は明治期以降の武道家で特に優れた人物のみが与えられた「範士」の称号を受けた人物。

------->ということですが,境内までは入りませんでしたので・・・ここにもでも,疣地蔵がありました。

さて,智光院さんです。

真言宗。康正2(1456)年、馬加康胤(千葉陸奥守入道常義)によって建立されたと伝わる。本尊は不動明王。康胤入道は同年11月、千葉一族・東常縁(左近将監)によって討たれた。同寺には、鎌倉期の作になる如来立像、菩薩立像が納められている。また、同寺の北部にある西光寺から出土した永正8(1511)年銘の石碑が保管されている。亥鼻城址公園のすぐ北にあり、隣の胤重寺との間の整然とした白い石畳をまっすぐ行くと、亥鼻城址公園に出る。

-----> ということで・・で,ここも境内まで入りませんでしたのですが,亥鼻城址側から垣間見えた黄金に輝く塔の詳細が分かりませんでした・・・。なんだったのでしょうか?
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このようなお寺はすべて千葉氏ゆかりのお寺さんだそうです。
かつ,千葉神社もその様ですね。
その名もずばりの千葉寺さんがあるそうですが・・・そこまではちょっとテクテクする時間がありませんでした。

さて,県庁と県警本部の表にある羽衣公園です。

初代民選千葉県知事従四位勲三等 川口為之助先生之像もあります。
ちなみに今は女性知事の堂本暁子氏ですよね

千葉にはモノレールが走ってます。
それも吊り下げタイプ!
ちょっと未来都市風!?!

県庁周辺から,会場の「ほてい家」さんまで・・・ですが,ヨシカワプロムナードが,モノレールの路線に沿ってあります。
↑:見えますか?
鴨の赤ちゃんも居ました・・・。
←:今回の会場のレストラン「ほてい家」さんです。
夜は,少しライトアップされてきれいです。
もう少し,周囲に緑があったりするとプロムナードっぽくっていいなぁって感じを,少し受けました。

千葉中央駅前のモニュメントです。
そして,そうです。千葉はロッテマリーンズです。
丁度,この日はクライマックスシリーズ第2ステージが始まって,札幌で日本ハムと戦っている日でした。この日は勝利だったような・・・。

ちなみに,ランチした千葉中央駅のロッテリアでも,クーポンがあって,応援セールをしていました。