亥鼻公園〜亥鼻城址です。
北側・・・・都川側から少し岡を登ります。
その途中に,神明社があり,そこには,亥鼻城址の石碑もあります。
あるHPによりますと・・・・

大治元(1126)年、千葉介常重が大椎城からこの地に移転して築城した。常重の子、常胤の代の治承四(1180)年、源頼朝が伊豆で挙兵し石橋山合戦で敗北、安房に脱出した際に頼朝を助け、鎌倉幕府樹立に大きく貢献した。この活躍で千葉氏は下総のほか、奥州、九州等にも所領を増やし、最盛期となった。康正元(1455)年、前年に勃発した古河公方と鎌倉公方(堀越公方)の対立による騒乱(享禄の大乱)で千葉氏も内紛が勃発、宗家・千葉介十四代胤直・胤宣父子を一族の馬加城主・馬加康胤、小弓城主・原胤房らに急襲され落城、千葉胤直父子は志摩城・多古城にて自刃し千葉氏の宗家は滅亡した。亥鼻城は千葉宗家を継いだ康胤の孫、輔胤により廃され本佐倉城に移った。

・・・といいうことの様です。
知りませんでした・・・千葉は千葉氏が治めていたのですね。
だから,「千葉」なんだ,いやぁ・・・浅学で申し訳ないです。

それで,突然という感じで・・勿論,大和橋の辺りから見えていましたが・・・
このような天守閣が見えてきます。

でも,実はこれは郷土博物館なのですよね・・・

亥鼻城址は,先の神明社のとことで,多分,昔ながらの山城だった筈で・・・。

だから,この辺りにこんな天守はなかったのだと思いますが・・・。

さて,その南側は,千葉文化の森となっていて,緑があり,遊歩道があり・・・というところです。
文化会館の奥というロケーションになっていて・・・歌碑かな,あるいは,像なども点在していました。
これまで千葉は学会で2度ほど・・駆け足だったので,今回初めて,いろいろと見ました。
文化会館の表の広場では,像や,千葉の生んだ有名な歌人の郷里を詠った歌が刻まれていました。