横浜スタジアムから港の方へ・・

日本大通りです。

爽やかな道路です。
カフェは仏蘭西風味で路上に溢れているし・・・。
歴史的な建造物も多く・・・勿論,今も生き生きしています。
開港・・・文明開化・・・近代化の夜明け・・・そんな響きが似合います。
県庁の建物は今も現役ながら・・・ここになんだか深みが感じられるようですし,かつ,フレッシュな息吹が感じられます。
横浜のイメージにぴったり!!
旧英国総領事館の跡は・・・中庭には,朝の初秋の陽光を楽しむお年寄りもいらっしゃいました。


関内駅から,地下鉄の阪東橋辺りまで・・・背の高い木々と花々と彫刻の空間が・・・続きます。

元々は運河だったそうです・・・大通り公園です。
勿論,通勤の方々も足早に過ぎていきます。
そして,若干のビニールシートの人たちも居ます。
また,この辺りの後・・・石川町の方へ歩いたのですが,そこにはハローワークや福祉施設があって・・・
朝には,そういうところへ行かれるお年寄りなども,三々五々って感じで集まってもいました。
この公園は,可也,長く続いています。
犬の散歩の人たちも・・・・。
花々もこの日は陽光に輝いていました。
想いの外・・・深い緑です。
平和記念の像もあります。
花々は交差点などには,きれいに花壇として作られていました。


いつものテクテク倶楽部は寺社仏閣へのお参りも多いのですが・・・。
港町横浜では,ついつい,海の匂いと,文明開化に誘われました・・・。

でも,少しは回りましたよ。


ここは,鳳莱町の厳島神社です・・・水天宮というか,弁天様というか,池があって・・ですね。
通勤前に,熱心にお参りされてらっしゃる方もいらっしゃいました。

池の中には,本当にぶっとい鯉が,気配がするだけで,口をパクパクさせてやってきてました。
ごめんね,餌を持ってないよぉ・・・。
岩に注連縄がしてあって・・・こういうのは関東に多いのでしょうか?

前橋でも,この前,見かけました。境内社として・・・。
石川町の諏訪神社です。↓    「漁船のために灯台の役割を果たし、火伏の神様として崇敬される」というこどです。 ちなみに神様は建御名方命(たけみなかたのみこと) ---とのことです。
以下はHPから借用させてもらってますが・・・・・。

「社伝によれば、文明13年(1481)の創建といわれる。創建当初は諏訪山と呼ばれる高所に小祠があり、灯明を欠かさず夜漁に出る漁船の目標になっていたともいわれている。現在は、横浜市の中心市街地になっているが、鎌倉時代から戦国時代にかけて地先は鐘形をした入海になっており、大岡川の河口が、物資の集積地として栄えた。その関係で、漁船以外の船の目標になったのではないかと思われる。諏訪神社の本社は長野県の諏訪大社で、全国に1万を超す摂社、末社が存在する。それぞれに御利益があるが、当社は再三火災に遭いながら、氏子町内にはないことから、「火伏の神様」として深く崇敬され、「おすわ様」の愛称で親しまれている」とのことで・・・・なかなか古い神社の様ですね。
連光寺さんです。可也大きな造の伽藍ですし・・・勇壮な印象を抱きました。
お庭も丁寧にされてました。


で,石川町の亀の橋からの坂道は地蔵坂です。 途中から折れるところは,今や「乙女坂」だそうです。
地蔵坂の降り切ったところの「亀の橋」には,濡れ地蔵さんがいらっしゃいますl
この建物は・・ちょっと分からないけど・・・夕闇迫る頃です。 ホテルの意匠の,既にネオンの木です。
そして,横浜スタジアムでした。