2007.10.2.
教室の所用で,高松まで行きました。
原付で茶屋町に停めて・・・・・そこからはマリンライナーです。 |
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茶屋町駅です・・・。
最初の2枚は帰ってきた時の,もう日の高い時間ですが・・・最初はまだ朝が空けてきた頃でした。 |
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瀬戸大橋から東の海の景色です・・・。窓越しですが・・。 |
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四国に入ると讃岐富士がよく見えます。 |
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高松駅はターミナル駅で・・・すべての線路がホームから延びていってます。 |
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少し早めにつきましたので,駅からすぐの玉藻公園(史跡:高松城址)に行ってきました。 |
そこには,「石あかりロード」がありました。・・・なんていうか,各地方で,結構,工夫を凝らして,興味深い造作がしてあります。 |
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さて,玉藻公園に入りました。 |
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入場券によりますと
「讃州さぬきの高松さまは城がみえます波の上」と歌われている高松城は天正16年(1588年)生駒親正公が築城に着手し,生駒家4代54年間,松平家11代228年間(初代は水戸光圀の兄松平頼重)にわたり居城した城跡の一部で,全国でもまれな水城(海城)として有名です」 |
とのことです, |
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お堀は確かに海の水が引いてありました。 |
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内苑御庭です。・・・ちょっと木々が所狭しという印象がなきにしも・・でしたが,でも,広々としていて,緑も多い感じでした。 |
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これは元は藩政時代ですが,大正5年に作造去れた枯山水の庭だそうです。
手水鉢は重さ11トンといわれているそうです。 |
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さて渡門を抜けると月見櫓がそびえています。 |
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重文指定とのことですが・・・・。
それと引き続いて水手御門と渡櫓が一体です。
すぐ外は海です。江戸時代からここから船の行き来を見ていたそうです。 |
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再度,内苑御庭に入って・・・今度は,内堀よりから,披雲閣へ向かいます。
結構,大きな建物だなぁって思いましたが,江戸時代は今の2倍はあったそうです。
元々は124畳敷の大書院などもあったそうです。 |
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今は,市の所有で,貸会場として会議や茶会や華展などに使用されているそうです・・・って,ここでの茶会は殿様気分になれるかな??? |
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桜御門跡を抜けます。内堀と中堀の間は土手のようになっていますが・・・この日は,緑を映した水面が穏やかでした。 |
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桜御門は,空襲で焼けたそうです。 |
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艮(うちとら)櫓です。
そして,馬場もあります。 |
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馬場に,こんな天球儀というのでもないかな・・・ありました。 |
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もう一度,水門の方に戻って,今度は,天守閣跡の方へ向かうのですが・今は,天守閣の所は工事中でした |
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鞘橋で天守閣は内堀を跨いで,二の丸跡とつながっています。
お堀には,確かに,海の魚もいるそうです。 |
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お堀の向こうは琴平電鉄の駅です・・・いろんな色の車両が・・止まっていて,人を乗せて・・あちこちに向かって出発していってます。 |
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天守閣の跡には,玉藻廟があって・・・神社のようになっていたようですが,あいにくの工事中で,鳥居までしか拝めませんでした。 |
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この屋根つきの・・っていうか,鞘橋は,江戸初期にはまだ欄干橋だった様ですが,江戸中期から今のような状態との説明でした。 |
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さて,帰路でも讃岐富士!
そして,瀬戸大橋から今度は西向きの景色です。 |
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実は,高松は空振りで,そこで指示をいただいたように,帰路は茶屋町を通りすぎて,直接岡山入り!
そこでの用事を済ませて,また,茶屋町まで戻ってきたのでした。
結構,広い城址でした。 |