橿原神宮から南へ・・・・近鉄大阪線の踏み切りを挟んで,久米寺です。

山号は霊禅山。詳しくは霊禅山東塔院久米寺と称する。本尊は薬師如来。開基(創立者)は聖徳太子の弟の来目皇子(くめのおうじ)とも言うが未詳。--------とのことです。
大和七福神(信貴山朝護孫子寺、久米寺、子嶋寺、小房観音寺、談山神社、當麻寺中之坊、安倍文殊院)のひとつ..............です。
ちょうど,この橿原神宮よりから入るのは,裏門という感じですが,でも,趣があってすてきな雰囲気でした。

太陽の向きにも依るのでしょうが,陽射しを受ける木と,影を作る木の対照が美しく,しばし,汗を引かせてくれます。
本堂は,裏にお庭を持って・・そこには入れませんでしたけれど・・・多宝塔もありました。
いくつかの境内社や,太子堂や観音堂がありました。
大和三山の1つ、畝傍山の南方に位置し、橿原神宮からも近い。開基は聖徳太子の弟・来目皇子(くめのおうじ)とも久米仙人とも伝わるが、詳細は不明である。空海(弘法大師)が真言宗を開く端緒を得た寺として知られる。娘のふくらはぎに見とれて空から落ちたという久米仙人の伝説が残る。
多宝塔(重要文化財)は---------万治2年(1659年)京都・仁和寺より移築されたもので、桃山様式を残す。-----とのことですので,だから,仁和寺の別院ともなっているのですね。
もう一方,お参りされてらっしゃる方・・・旅行者の様でしたけれど・・・が居らしただけで・・・・・夏の日差しに境内の白さが輝くばかりでした。そこには,永劫の時を超えた想いが昇華していくような幻想を抱かせる何かがある様にも感じられました。
飛鳥の頃から,ここで,何かを祈る人,想いよ叶えと願う人・・が,この境内で気持ちを清めていたのかと思うと,その頃と同じ空と陽射しの中で,それでも,祈りを込めてしまいます。


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さて,久米寺の南に久米神社です。

小さなお社でした。この辺り・・久米という辺りで,橿原神宮が明治からとすると,その前は,ここで仏神一体で人々の気持ちを受け止めていたのでしょうね・・・。
町並みは,軒の低い昔ながらの街並みでした。