参道から北側は,森林遊苑となっています。そして,北参道へと続いています。
この辺りは,元々の森を,少しいらっただけでしょうか?

北参道の途中からは,畝傍山への登山道もありました。

そして,そこへ入っていくと,東大谷日女命神社がありました。
当社の創立の年代は詳らかでないが、江戸時代には熊野権現と称し祭神は、伊弉册尊であった。
明治20年頃から当社を密に東大谷日女命神社と呼び、祭神をも神功皇后とした。
その後間もなく祭神を姫蹈鞴五十鈴媛命とし、明治35年社名変更を出願し聴許を得て無格社として式内社の指定を見た。
当社を高市郡の式内社畝傍山口神社とする説もある。

とのことです。



やはり,北参道から少し入ると,慰霊公苑があり,瑞鶴の碑がありました。
そして,戦友の方々でしょうか? 
慰霊の意味での樹木が植えられていました。
戦争云々ではなく,でも,命を散らしたということに泪......ですね。
瑞鶴は日本海軍の航空母艦。翔鶴型航空母艦の2番艦。太平洋戦争中、真珠湾攻撃や珊瑚海海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦などで活躍したが1944年10月25日エンガノ岬沖海戦で沈没した。瑞鶴はマリアナ沖海戦まで一発も被弾しなかった幸運艦であった。

とのことです。



北参道の入り口にも,木製の大鳥居がありました。
その東側は,陸上競技場やテニスコートなどのスポーツ施設になってます。

森林遊苑は,下のごとく,晩夏のそれでも強い陽射しを受けていました。