附属高校〜大学で一緒だった井重博先生です。
彼はオーボエ吹きだって,僕は一時期バイオリン弾きでもあって・・・オケラで一緒でした。

「イシゲ ヒロシ」ではなく「イ シゲヒロ」先生です・・とは云え,僕らは,「イシゲ」って呼んでましたけどね。

熊本大学に戻って,神経内科をして・・・今,川崎医大の脳卒中科や神経内科に同門の神経内科の先生が来られてらっしゃるようです・・・・・・今は,開業してます。

井クリニックです・・・(このHPのリンクのところにあります)

で,馬刺し・・そして辛子蓮根も食べました。

美味! 美味! そして焼酎も!!!

大槻は顔が真っ赤でございます・・・テヘヘ
ちなみに辛子蓮根は・・・・・

「熊本藩主細川忠利は生来病弱だったが、ある時前任地である豊前国耶馬溪羅漢寺の禅僧・玄宅が忠利を見舞った時に、蓮根を食べるよう勧めた。そこで藩の賄方であった平五郎が、加藤清正が熊本城の外堀に非常食として栽培していた蓮根の穴に和辛子粉を混ぜた麦味噌を詰め、麦粉・空豆粉・卵の黄身の衣をつけて菜種油で揚げたものを忠利に献上したところ、忠利は喜んで食べたという。蓮根は増血剤として優れている上に辛子には食欲増進作用があること、また蓮根を輪切りにした断面が細川家の家紋(九曜紋)と似ていたことから門外不出の料理とされていたが、明治維新からは一般にも製法が伝わった。」

だそうです。



で,街歩き・・・・・・・熊本テクテク倶楽部です。
報恩寺さんです。

ここには,山頭火の句碑があったり・・・また,山門をくぐると本堂は・・・二階建てになっていて・・・なかなか立派な伽藍でした。

山頭火はここで修行をしたこともあるそうです。




そして,浄行寺さんです。
大きな本堂で,交差点の名前もお寺さんの名前でした。

鐘楼はすっきりとした感じですし,境内は結構,広かったです。



        ↓ 浄行寺さんから少し北へ行くと本光寺さんがありました。卒塔婆・・が,文化財なのに・・・撮り忘れました(トホホ)。
凝灰岩製の笠塔婆の塔身で、笠部は失われて代わりに層塔の屋蓋部分などが載せられている。安元元年は1175年で平安朝末期に当り、現在確認されている笠塔婆では我が国最古のものである。


見性禅寺です。中には入れませんでしたが,鐘楼が独特で際立ってます。
←:で,この辺りには,熊本電鉄の藤崎線が走ってました。JR九州と一緒で,やっぱり色使いも素適です。
少し南に戻っていくと・・・立田口大神宮がありました・・ってか,お社自体は小さめでしたが・・・。
赤い鳥居はしっかりしていました。なんか,住宅街の中に ぽつねんと静かにお社が鎮座されてらっしゃる印象でした。






そしてこの辺り・・・坪井って地名の辺りですが,小泉八雲縁の道もあるようでした。そうか,熊本で教鞭をとっていたのか!
明専寺さんです。新しい山門と屋根の大きな伽藍です。
正福寺さんです。山門には大きな仁王像です。


坪井恵比寿神社です。小さな・・本当に,車庫ほどのスペースにありますが,恵比寿さんだし,商人の町だそうで・・ここは,大きさに関係なく,信心深い人たちがお参りされたのでしょうね。
さて,そのまま上通りアーケード街の方へ行きます。 熊本信愛女学院があって・・駅伝でも有名ですよね・・。

で背中合わせには,宗岳禅寺さんがありました。



という感じで・・またまた寺社仏閣めぐり・・・別に,建築様式とか歴史とかをすごく知っている訳でもなく・・ていうか,全然知りませんが,信心の気持ちの拠る縁る処は,気持ちが厳かになって・・好きです。