今回は,品川駅から白金一丁目の交差点と魚藍坂下交差点の辺りへ・・・そこで編集委員会があって・・・で,宿は,三田のとさか女子短大の近く・・・そして,また,会場は高輪で泉岳寺の裏手・・っていうロケーションで,一杯歩きました。

この辺りは,見た〜高輪街道です。

そして,お寺さんも可也密集している地域のようです。坂も沢山あります。

なかなか,小さな発見が一杯のテクテク倶楽部でした。
第一京浜沿いにある高輪神社です。背の高いマンションの狭間にありました。
少し奥まって,境内はそれなりの広さもありました。
階段へ続く石畳を,隣のマンションの方が掃除されてました。
比較的新しい立派な本殿でした。
泰一京浜から伊皿子坂を上って・・その後,魚藍坂を下りていきます。ここにあった赤い山門は坂の名の通りの「魚藍寺」さんです。
いくつかのお寺さんが,並んでありましたが,ここは宝徳寺。
三味線の始祖の石村近江の墓所があるそうで,浄瑠璃協会建立の碑などもありました。
三田から街道を高輪方面に・・・。途中の聖坂です。
そこには,貝塚神社がありました(↑)。
そして,済海寺さんには,最初の仏蘭西公使宿の跡がありました。
そして,坂を昇り切った辺りには,亀塚公園がありました。
「亀塚の名称の由来は複数伝えられている。・・・弥生時代に造られたと考えられる人工の円墳が存在することによるもの。 ・・・竹芝伝説の竹柴の衛士の宅地にあった酒壷の下に住んだ霊亀を土地の人が神にまつったものであるとされるもの。 」とのことです。
荘厳寺さんは,亀塚公園の向かい側辺りです。
鐘楼が立派でした。

この辺りは幽霊坂だそうで・・そして,お寺さんが,一杯あります。
三田台公園です。「1978年(昭和53年)縄文・古墳時代の貝塚断層が発見され、竪穴式住居のレプリカが展示されている。」とのことで,確かにありました。それに,ビオトープエリアは今年の5月から日曜のみのオープンだそうです。高輪の辺りって・・・・昔の高台でこの岡の梺の辺りは,海岸だったのでしょうね。
ビオトープの金網越しの風景です。
伊皿子交差点のところには,こんな・・歯科関連ですが・・・。 伊皿子坂です。

東京は思いのほか,このような案内板などが豊富で,歩きながらその説明を読んでいるだけで,歴史に巻き込まれそうになります。
高輪神社の近く,伊皿子坂を降りて,第一京浜との角の稲荷神社ですが・・・ビルの2階が神社でした。

こりゃまた,都会風ですよね。
高輪の海岸べりの石垣の跡だそうです。江戸時代には,このあたりが高輪海岸だったのですね・・・・。埋め立てて人の息衝く空間が広がっていっているのですね。
第一京浜から明治学院大学の方へ向かう坂は,桂坂です。そして,そこから小途があって,そこは洞坂です。洞坂を降りた辺りには,大きな敷地の東禅寺がありますが,塔の先端しか見えませんでした。境内には池もあり,「東京都港区高輪にある臨済宗妙心寺派の別格本山。正式名称は海上禅林佛日山東禅興聖禅寺。江戸四箇寺の1つ。幕末にイギリス公使館が置かれていた。」とのことですが・・・・。前に来た時も境内にははいれませんでした・・・って,どこか別から入れるのかな???
そして,桂坂を上りきった辺りには,高野山東京別院があります。
広い敷地でした。
大きな伽藍でした。
「江戸時代における高野山学侶方の江戸在番所として慶長年間(1596年〜1615年)に浅草日輪寺に寄留して開創された。明暦元年(1655年)に幕府より芝二本榎に土地が下賜され、延宝元年(1673年)高野山江戸在番所高野寺として完成した。」という歴史だそうです。


高野山別院から南へ少し・・・・光福寺さんです。小さな境内なのですが,お花や木々が丹精込めて世話されているのが,伝わってくる瀟洒なお寺さんでした。佇んでいると,お寺さんの名前の通り,癒されて幸せな気持ちになってくるようなところでした。
会場よりには円真寺さんがありました。

ここだけ岡山県もありました。
ちょうど,高輪警察署の前ですが,二本榎が残されていました。
昔の旅人には,良い目印になったそうです。
承教寺さんです。この山門の処にも,二本榎の碑がありました。少し唐風の伽藍の配置と感じましたが,そうでしょうか?
江戸時代の画家・英一蝶の墓所とのことです。
会場の東海大学短期学部高輪校舎の向かいには,廣岳院さんがありました。伽藍は堂々とした感じで,すくっと建っている印象を抱きました。
佐久間 安政(1555年(弘治元年)−1627年6月8日(寛永4年4月25日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将(のち大名)。佐久間氏の一族。佐久間盛次の子。佐久間盛政の弟、柴田勝政、佐久間勝之の兄。母は柴田勝家の妹(姉?)である。従五位下備前守。-------の墓所があるとされているとのことです。
廣岳院さんの斜め向かいには,丸山神社です。「文禄3年(1594年)、芝西久保丸山竜土(現東京都港区愛宕山)にあった曹洞宗常陸永厳寺の末寺にあたる医王山広岳院の境内に、徳川家康の命を受けて開基の全梁が創祀したものといわれる。 」とのことです。

確かに,お隣でした。
会場の隣・・證誠寺さんです。
桜田通りに1本,坂を降りますと,源昌寺さんです。片桐且元の子で大和国竜田藩主の片桐孝利が中興した。増田甲斎 - 幕末に活躍した旧・遠州掛川藩士の墓所とのことです。
少し南に行くと正満寺さんです。
小さな区域ですが,お庭がきれいに丹精に整えられていました。
桜田通りと目黒通りが交差するところには,覚林寺があります。

「日蓮宗の寺院。山号は最正山。かつての熊本藩中屋敷の一部であった。寛永8年(1631年)、誕生寺18世可観院日延(臨海君の子。清正に養育される)の隠居寺として開山。付近の住民からは「清正公さま」(セイショウコウさま)と呼ばれている。加藤清正の位牌や像が祀られていることから、勝負祈願の寺として信仰を集める。」

とのことです。
さて,三田〜高輪・・少し白金の手前まで歩きました。

ここには案内も立っています。

上記しました・・・・亀塚公園辺りの幽霊坂の案内柱もあります。
街で見つけた花。
会場近くの大石良雄の自刀の跡の碑。
会場から桜田通りへは天神坂を降ります。
羊羹のとらやさんです。
天神坂のところには,小さな祠もありました(↑)。

また,三田からのテクテクの途中で見えた少し霞んだ東京タワー。

またまた,右のお寺は,実は天理教のお寺さんですが,屋根の様子が重厚でした。



ということで,今回の東京テクテク倶楽部も過ぎていきました。
梅雨時で,蒸し暑くって,結構,汗ばみながらのテクテクでしたけれど・・・東京再発見みたいなニュアンスで,いろんなお寺さんを覗かせて・・・参らせていただいたりしました。

感謝,合掌です。