越生町の医王寺さんです。


HPによりますと・・・・・・・・・医王寺は法恩寺の末寺で、二世住職曇秀(1463年入寂)が開山したといわれている。本尊は、平安時代末〜鎌倉時代に製作された薬師如来像で「医王寺縁起」によると、古来、この地は熊野・三島・天神の三社が鎮座していた場所で、行基菩薩によって薬師如来が安置された。その後、児玉党越生家行が太刀一振りを納めて薬師堂を建立し、鎌倉時代の末には足利尊氏の妻・時子がこの薬師如来に祈願したところ眼病が治癒したため、尊氏は社寺の修理を行った。また毛呂郷の領主・毛呂氏も戦国時代に堂社の修理を行った事などが記されている。宗派は真言宗で醍醐三宝院の直末として法恩寺と同格の勢力をもっていたといわれ、応永年間には十八ヶ寺の末寺を有していたと伝えられている。境内と周辺の田畑から鎌倉〜室町時代の板碑が出土し草創の古さを物語っている。・・・・・・とのことです。
里山の奥深くに,田畑の向こうにしっかりと腰を据えた感じで,建ってました。良い感じでした。

尊氏の名前が寺歴に出てくる辺りが・・・関東だなぁ・・・って,西日本人の大槻には,感じられてしまいます。