さて,八瀬の叡山口から学会場の国際会館へ歩く途中に,崇導神社がありました。
街道からそこそこ奥まで参道が延びています。
境内神社として,小野神社(小野妹子命・小野毛人命),伊多太神社(伊多太大神,小野毛人命)もありました。
右下の社内の由緒書き・・・・からは・・・・・・・・・≪境内由緒書きより≫ 当社は桓武天皇の皇弟早良親王(崇道天皇の諱を追尊)を奉祀する旧高野村の産土の社で、 その創建年代は詳かでない。延暦4年に長岡京使藤原種継暗殺事件がおこり、親王も関係ありとされて、 淡路へ配流の道中大山崎で怨念を残しつつ憤死された。その後朝廷を始め、 都の内外に不吉な事故と奇妙な異変が続発した。こ れらの怪異天災は親王の怨念の祟りがあると占に出たために鎮魂の行事が盛んに行われた。 都の鬼門に当たると共に北陸への要衝のこの高野の地に御霊社として親王を祀ることになった。 御霊信仰の全国的に流行する貞観時代に早良親王のみを祭った例はない。-------ということです。
由緒書き

夏には,緑の匂いで圧倒されそうな感じのところです。
そして・・・お社自体は,古く清楚な感じのものです。
← これが伊多太神社ですね・・・
全国には多くの小野神社があるそうですが,その中で,地名由来のお社以外に,小野妹子・小野篁・小野道風らを出した小野氏の祖神の天足彦國押人命を祀る式内名神大社が,大津市にあって,それ以外に境外社に小野篁を祀る小野篁神社,小野道風を祀る小野道風神社などもあるそうです(Wikipediaより)・・・・で,ここは,小野毛人の墓だそうです・・・。
京都へ平安京遷都される前・・・奈良時代前期の京都市内の遺産として・・・珍しいとのことですね。